Chromeplated Rat

街や音楽やその他のものについてのあれこれ。

くおりあその後

双風舍サイトで始まった「脳は心を記述できるのか」と云う連載についてここで触れてから、もう2か月半が経過しようとしている。斎藤環による第1信が発せられてから、そのままなしのつぶてのままだ。そのことについて、斎藤環さん(この辺なんか微妙な心理なんだけど、ブロガーとしてのそのひとに触れるときにはなんか敬称略にし辛い)のブログでちょっと触れられている。菊地さんからのお手紙と云うエントリ。菊地さんというのは菊地成孔さんのことだ。

 せっかくなのでお返事を書きたいけれど、茂木さんからの返信が届かない現状では、本編が始まらないのに番外編はできそうにありません。あしからずご了承下さい。でも、これでまた返信が遅れそうな予感が。

なんて書き方を斎藤さんにされている菊地成孔さんの元エントリは脳ミュージック、脳ライフと云うタイトルで公開されている。で、斎藤環さんのお返事を受けて書かれたらしい斉藤環先生へと云うエントリも追加されている。これがまぁ酷い、と云うか茂木健一郎タコ殴りと云うか。茂木健一郎がタレントだとすれば名誉毀損ものだと思うけれど、まぁご本人が「タレントじゃない」と主張されているようなので問題ないのかも知れない。

「何となく新しく面白そうな(その実、ずいぶん古く、ほとんど面白くない)価値観を、何にも知らない一般人にプレゼンテーション」という皆さんご存知のアレ

これ、云っちゃったら身も蓋もないと思って書いてなかったのだけれど、正直同感だったりする。

 斉藤先生は「対談はお手盛りに成るから往復所感にして貰ったんだ」なんておっしゃいますが、そりゃあ御説ごもっともですけど、茂木先生と何かすんのに、お手盛り以外何しようってんですか(「だから、公開の往復書簡をしようと思ったのだ」と仰ると思いますが・笑)、あーんなおっかない手紙書いて、ぎゅうぎゅう追いつめて、万が一潰しちゃったとしても、「よくやった精神分析。偉いぞ」なんて誰も思っちゃくれないですよ。

たーたたた確かに。

民衆というのはよろしいですか先生、クオリア信じる人々の事ですぞ(笑)。ワタシの東大の生徒にも居ましたよ。ちょこざいなバカが寄り目んなって近づいて来て「あー菊地先生。ブルースとクオリアには、あーどんな関係があると思いますか?」って言いやがったんで、一言「ノー(脳)!」って言ってやりましたとも(笑)。

申し訳ないけれど爆笑である。

なんかどうも、この往復書簡は少なくとも開始時の志としてはプロレスではなかったようだ、と云うことは分かったのだけれど。でもなんか、期待したおいらが馬鹿だった、ってオチになるのか。著書一冊読み切った時間と金返せ(いや、時間も金もたいして費やさなかったですが)。
なんだかなぁ。茂木健一郎はいまや多くの方々の生きる指針となっているようなので、こんなしょぼい結末は勘弁して欲しいなぁ、なんて思う。

追記:

「業を煮やした斉藤先生が、とうとう茂木先生の分析を始める」に1万。

これに乗った。