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街や音楽やその他のものについてのあれこれ。

チャーリー・ブラウンに問いかける (「チャーリー・ブラウンなぜなんだい?」シュルツ)

このあたりとかこのあたりとか書いていて、どうしても現場の看護師さんたちの気持ち、と云うのに思いを馳せる。馳せたからと云ってぼくごときにそれが十全に想像がつく範囲内にある、とはまぁ思わないんだけど、そうするとぼくは看護師さんたちの思いから生み出された一冊の絵本を思い出す。

チャーリー・ブラウンなぜなんだい?―ともだちがおもい病気になったとき

チャーリー・ブラウンなぜなんだい?―ともだちがおもい病気になったとき

  • 作者: チャールズ M.シュルツ
  • 出版社/メーカー: 岩崎書店
  • 発売日: 1991/11
  • メディア: 大型本
 

まぁシュルツを知らないひとはいないでしょう。
その、ひとや世界の残酷さ、理不尽さに対する深い締念と、それを踏まえて生じてくる優しいまなざしとか。

この絵本もその残酷な現実をきっちりと描いてから、もちろんハッピー・エンドで終わる。そうでないと、多分読み手であるぼくたちが耐えられないから。こんなエンディングが準備されていない、おなじような話が、現実にはたくさんあるはずだ。

ライナスが「なぜなんだい?」と問いかける相手は、チャーリー・ブラウンだ。もちろん答えは返ってこない。
チャーリー・ブラウンが持っているのは、一緒になって苦しみ悩んでくれる誠実さと、底なしのこまやかな優しさだけ。そこから、わかりやすい望んだ通りの回答なんて返ってこない。そのことを分かっていて、ライナスは問いかける。その意義を、ライナスは知っている。
そしてたいていの場合、ぼくたちの身近にはチャーリー・ブラウンはいない。そして多くの場合、わかりやすい答えを返してくれないチャーリー・ブラウンに問いかける(自分自身にとっての)意義を、ぼくたちは理解しなくなっている。どちらが原因でどちらが結果なのかは、分からないけれど。

チャーリー・ブラウンであろうとすることは、多分、江原啓之であろうとすることよりもよほど辛いと思う(尊敬も収入も得られない)。そして、チャーリー・ブラウンに問いかけることも、また、辛いことだろう、なんて思う。