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街や音楽やその他のものについてのあれこれ。

中立性

TAKESANさんの"Interdisciplinary"のエントリ、科学者人形をサンドバッグにする人で取り上げられていた「アルスブルグの研究室」で、なんと云うかある意味魅力的なエントリが上がっていた。Wikipediaの検閲と云うタイトル。TAKESANさんと被るかもしれないけど、取り上げてみる。

このエントリはTechnobahnの記事を受けてそのまま書かれたみたいだけど、そもそも「検閲」の意味をまるきり取り違えてる。いったい誰が「検閲」していると云うのだろう。

Wikipediaは誰でも編集できるフリーの百科事典である。それ故に、「中立の原則」を堂々と無視した記述が見られる。例えば、「水からの伝言」のページだ。

この方、Wikipediaの方針である中立的な観点と云うものを、どう云うものだと考えているんだろう。ひょっとして、「自分の考えにそぐうものが中立」と考えるタイプの方なんだろうか。

水からの伝言については、江本氏は「ポエムだと思う。科学だとは思っていない。」とアエラ誌上で言っている。

こう書いている以上はもちろん、その主張そのものが同項目に記載されていることはご存知なのだろう。

江本は「水からの伝言」を「科学」ではなく「ファンタジー」「ポエム」と自ら認めている。水からの伝言-Wikipedia

このことが記載されている、と云う点で、中立性の観点に関する方針は充分に満たしているのだけれど。「論争の種になるような立場を、主張することなく単に記述」しているのだから。ついでに云うと、この方がおそらく故意に書き落とした下記の記述もちゃんとある。

しかし、いずれは証明されるとも述べており、事実ではないとは認めていない。水からの伝言-Wikipedia

証明される、と述べている以上、これに続く指摘は当たらない。

江本氏は、詩集を編むが如く「水からの伝言」を著したのだろう。その著者のメッセージを無視して、何故か、Wikipediaの記事はその非科学性を批判している。

だって、「証明される」と云ってるんだから。だいたい詩集を編むが如くって何だ。詩を詠む、と云う営為を「水からの伝言」程度のものと同列に並べて貶めたい理由がなにかおありなのだろうか。

著者は「科学だとは思っていない」とはっきり言っている。従って、江本氏及びその著作が批判に曝されるいわれは無いはずだ。

上記のWikipediaの記述を踏まえてなおこれを本気で云っているとすれば、問題はこの方の日本語の読解能力にあるのかもしれない。まぁブログタイトルにドイツの地名をわざわざ英語読みにして掲げていらっしゃるくらいなので、この方が日本人ではない可能性もあるし、だとすれば不当な批判かもしれないけれど。

但し、私は以上の主張はするが、Wikipediaの記事を変えようとは思わない。

「中立性の観点」の方針に則った上で、堂々と編集に参加すべきではないかと思うのだけれど。その参加が、Wikipediaの「中立性」の源泉になるものなのだから。