Chromeplated Rat

街や音楽やその他のものについてのあれこれ。

風穴

hasenkaさんの水伝は現代科学に風穴を開ける突破口になるかと云うエントリと、続きの普通の人まで科学に囚われていることと云うエントリを読んだ。なんと云うかとても凝縮度の高い内容なのでちょっと細かめに突っ込んでみる。

従来は余りにも科学的という枠に捕われ過ぎて柔軟な発想ができない状況に追い込まれていなかったか。

何についての「柔軟な発想」なんだろう。

何でも非科学的で済ましていては文学だって捨てられてしまう。

文学に対して「非科学的だ」みたいな白痴めいた評価の仕方をする人間は科学者にも文学者にもいないと思うのだけど(それがSFでも)。

だいたい昨今の科学の停滞は従来の科学の枠に捕われている人材ばかり集まってしまった石頭揃いの科学者が原因ではないのか。

科学が停滞していたのか。知らなかった。特定の分野で大きな進歩が見られないケースはあるだろうけど、全体として「科学」が停滞してると云う話は聞いたことがない。まぁきっと何か論拠があるんだろうけど。
で、どんな「石頭」な科学者が具体的にどんな弊害を及ぼしているんだろう。よくある「脳内科学者像」に向けて云っているのでは、まさかないだろうし。

それは多分レイヤーの違い。違う次元の話なのだから、その現象を科学的に捉えてもダメのような気がする。

科学的に捉えてはダメなことが、科学に風穴を開けられる理屈はないと思うけれど、どうだろう。どっか科学じゃない、よその学術分野に風穴を開けるんだったらまだ理解できるけど。

そうやって分離、隔離してカテゴリーに分けて、限定した考えに押し込めてしまうのが分野を超えた発想を妨げているのだから。

ここまでの論旨とまったく繋がってない気がするけど、どんな分野にも学際的なフロンティアはあるはずで、そこは無風地帯ではないはず。

そういう科学は残っていいが余り他者に迷惑をかけるものではない。

何を云っているのか分からない

だってやっぱり科学は正しい。それが現代人の思考なんだってば。そこから離れられないでしょ。この現代文明の恩恵に与っていれば科学を裏切られないのも当然だ。魂を科学に売ったな、残念!

いや、例えば人間のnatureに起源を持つ呪術的思考については滅んだわけではないし、時と場合によっては現在でも充分な有効性を発揮しうると思うのだけれど(この辺りは何度かここで論述して来た)。それをこんなふうに言い切るとは、さてはこの方は科学万能主義者だな!

とまぁちょっと丁寧に突っ込んでみた。いや、昼休みに「突っ込みどころ満載とか書くなら突っ込んでみろ」みたいな文章を読んだので。

ところでここまでおっしゃるのだったら、科学なんてみみっちい「次元」に囚われず、この方には是非「水からの伝言」が他の分野に風穴を開けうる可能性についても論述して欲しい。ちょっと思いつくだけでも3つほどある。

◆美術
水からの伝言」には、「幾何学的に整ったものこそ美しい」と云う確信がある。これは美術の評価に対し革命的な解釈軸を提供する。モンドリアンは美しく、カンディンスキーはそれに劣るのだ。この風穴によって、個々の思索と美意識に基づく曖昧な美術評論はすべて滅ぶ。
◆道徳
道徳にかなったものは美しく、不道徳なものは醜い。等号で結ばれているので、つまり見た目の美しいものは道徳的で、醜いものは不道徳なのだ。これは画期的な道徳観だ。「美しい国」言説にも大きな力を与えることになるはず。これを小学校で教えることは為政者の思いにもかなうことだろう。
言語学
以前も書いたけど、所謂「言語の恣意性」と云うソシュール以来の概念を完全に破壊することが出来る。これは結構革命的で、まさに風穴と呼ぶに相応しい業績となると思う。

引き続きこの辺りについて考察して下さることを期待したい。