Chromeplated Rat

街や音楽やその他のものについてのあれこれ。

科学よりも大切なこと

結局のところぼくらの安全な生活は科学技術の恩恵のうえに成り立っていると云うことは否定できないわけで、と云うようなことは何度か書いて来た。科学万能主義を糾弾する、と云うのも要はとても贅沢なことだったりする訳で(で、誰が科学万能主義なんだろうね)。で、mmemiyaさんの科学的根拠がなくても大切なことと云うエントリにとても共感した。

冗談じゃない。化学物質のおかげで数世代先にとんでもない影響が出るとか出ないとか論じるような余裕もない、生水飲んだら感染症で死にかねないという状況は、今だって世界のどこにだってある。そうでない生活をとりあえず我々が享受できているのは、間違いなくある種の技術のおかげなのである。こういうこと言ったら真面目にある種の運動している人には絶対反論されるんだろうけど、どう考えたって、贅沢だから、ゆとりがあるから言ってられることなんだと思うよ。

そのとおりだと思う。そうして、科学技術をぼくらの生活の安全のために活用しようと努力している(けして科学万能主義者なんかじゃない)ひとたちもたくさんいるのだ。
余裕があるんならロハスアイテムにたっぷりお金を使うのもいいと思う。でも、本当の自然の荒々しさや、そこからぼくたちを安全に遠ざけてくれているものに対して、いくらかは思いをはせても罰は当たらないと思う。

なんかそうやって考えてくると、やっぱり、科学というか、理科が苦手でも、ある程度はなんとかなりそうな気がしてきましたね。
要は、思考を投げないことです。権威ありげなことが書いてあると思考停止してころっと騙される、そんな人間にはならないこと。

この辺りはぼくの、そして多くの人文系の(畏敬すべき)ニセ科学批判者の方々が主張して来たことと共通すると思う。そのうえで、冒頭にお書きになっている

世の中には、科学的な根拠がなくても大切なことはいくらでもある。

の一文に深く共感したりするのだ。