Chromeplated Rat

街や音楽やその他のものについてのあれこれ。

真実とは考えたくないけど

頭の片隅にずっとあって離れなかったんだけど、可能性としてありうると考えたくなかった部分について、medtoolzさんが「信じたがる人」に伝わる意見と云うエントリをお書きになっている。実はぼくとしてはまだ真っ正面から扱う覚悟のない話題なのだけど。

マーケティング屋さんが「下流」と呼んでみたり、あるいは新興宗教を主催する人たちなんかが真っ先にターゲットとして想定するのは、このグループの人達。

信じたがる人というのは、「優越感ゲーム」が開始された時点ではほとんど何も持っていない。

納豆がある日バカ売れしてみたり、科学を信じる連中からするとありえない行動をするのも、このグループの人達。そんな行動の裏にはたぶん、「現状以外であれば何でもいい」という、感覚がある。

寄る辺のない、だから依って立つ矜持のようなものも持たないひとたち。

「優越感通貨」というのは交換しあうことで価値を増していくけれど、何も持っていないところからゲームに参加した人がとれる戦略は、誰かのアイデアを「信じること」だけ。

信じたアイデアが失敗したところで、「信じたがる人」が失うものはほとんど無い。この人たちがアイデアを選択するとき、最も重視されるのは短期的な成果で、その次が成功した時の対価。アイデアの実現可能性みたいな要素は後回しになる。

それが果たして優越感なのか、と云うと少し違うかもしれないけれど。でも、「もはやなにかうまい話がないと、何も期待できなくなったひとたち」と云うのは存在する気もする。

そうなると、ニセ科学も「下流喰い」なのか。おいらもいまのところ経済的には立派に下流層だけど。

でも、こう云う層の人に典型的に見られる表面的な態度は、排気量の大きな車に乗ることで満たされるような「根拠なき自己肯定」のような気も実感としてするけれどなぁ。