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街や音楽やその他のものについてのあれこれ。

攻防のリング

locust0138さんの科学は疑似科学に勝てませんと云うエントリを読んだ。

私の科学(自然科学)に対する捉え方は次の通りです。

「科学はこの世界(自然現象)を説明するための手段(哲学)である。当然、唯一絶対ではないし、万能でもない。しかし、今のところ科学を上回る手段は存在しないので、科学を信用する」

この考え方は特におかしなものではないと思います。

科学をそのまま哲学とするかはともかくとして、このへんはぼくなんかも同様の考えかたをしている。で、自然科学はその性格上議論の共有可能な前提を準備することを可能とするので有用である、と云うのも、科学に一定の役割を認める理由。

面白いことに、疑似科学の提唱者はほぼ例外なく「万能」を売り文句にします。

まぁ「万能」を売りにしていない場合でも、例えば医療関連のニセ科学の場合は「副作用なし」とか、おおむね収支計算の帳尻の合わない「おトクな話」であることを主張の目玉にするケースは多い。

この「万能」という概念から何が言えるのでしょうか。私の解釈はこうです。

疑似科学は人間の願望を満たすために産み出された手段である」

これもまぁこのことば単体では異論はないのだけれど、ちょっとひっかかる部分もある。そこのところ、locust0138さんの続く一節にも関係してくるのだけど。

科学は本来この世界を説明する手段であり、人間の夢を叶えることを目的とはしておりません(結果として科学は人間の夢を大いに叶えておりますが)。

まずそもそも科学が人間の夢を叶えることを目的とはしておりませんと云うのはどうかなぁ。それがだれの、どんな夢かはともかくとして、そもそも科学は「夢をかなえるための方法論」として生まれてきて、どうやったら本当に夢をかなえることができるのかと云うことを試行錯誤するなかである一定の信頼できる方法を手に入れてきた、と云うことなのではないかと思うのだけれど。

ところが、疑似科学提唱者・信奉者は、科学を「人間の夢を叶える魔法」と捉えているようです。魔法だから万能なのは当然です。

科学を「人間の夢を叶える魔法」と捉えているのは、意外とぼくら市井の人間(ぼくみたいにそこそこの期間ニセ科学の問題に言及している人間も含めて)には一般にみられる状況なのではないかなぁ(ここのところはクラークの三法則のみっつめにかかわるような話)。違いがあるとすれば、どうしてその魔法が実効性を持っているのか、その原理が共有可能かどうか、と云う部分で。

あと、魔法だから万能なのは当然だったりはしないだろう。神話だろうとファンタスィだろうと、一般に魔法は万能ではなくて、それ自体の根拠となる原理に縛られるものだから(そうでないと説得力が生まれない)。locust0138さんの比喩に乗れば、結局のところニセ科学が科学を装うのは、それが科学に準拠しているようにみせかけることで、魔法を発動させる原理を準備する、と云う営為なのだと思う。
人間はそうそう魔法を信じたりはしない。科学の発達していない時代でも、社会でも、人間の思考に訴求できる一定の合理性がない魔法が信じられたりはしない。ぼくは呪術、と云う用語を使って、ニセ科学を信じる心性に一定の内的な合理性があることについてここでわりとひんぱんに論じてきた(典型的なのはやっぱりこっちかなぁ。ニセ科学全般についての議論じゃないけど。今回、エントリのいくつかに改めて「呪術」と云うタグをつけて、こちらからご覧いただけるようにしてみた)。要はニセ科学と云うのはメカニズム的な面で人間の信じやすいものを提示して、信じる根拠に「これは科学に基づいているから」と云うエクスキューズを提示することで信じさせるもの、と云うのがぼくの理解(なのでニセ科学の信奉者なんかと対話しているときに「科学が万能だって云うんですか」的な反駁が来れば、その瞬間に信奉者にとってもじつはそれは呪術だったことがあきらかになる、って次第)。

てなわけで、以下にも多少の異論がある。

また、科学は根本的に人間の気持ちを考慮しませんので、どうしても「冷たく」見えてしまうことが避けられません。人間の感情と自然現象は全く無関係ですから。
一方の疑似科学は、人間の夢を叶えることのみを目的としていますので、非常に「優しく」見えます。

「優しく」見えるだけのうまい話に、人間はそうそう乗ったりはしない。それが人間の内的な合理性に照らして信じることができると云う印象を与えること(呪術として成立していること)、そしてその合理性を担保する呪術原理を「科学を装う」ことで調達していること、がそろって、まずはニセ科学の問題が生じるのだと思っている。で、やはりその前提としては、夢をかなえてくれるものとしての科学、と云う認識が背景にはあるのだろうと思う。まぁかなえられない夢をかなえられる、とは科学は云えないので(じっさいにかなえられる方法を探して発達してきたわけだから)「冷たく」見えてしまうと云うのはあるのだろうけれど。

「救いを求める一般市民に科学はなにもしてくれない」

これは「科学はなにかしてくれるもの」と云う認識が念頭にないとでてこないクレームだよね。まぁ科学になにかしてもらってる、と云う意識が日常あるか、と云うとあんまりそうでもないよね、と云うことについてはこっちとそれに続くこっちで書いた。

誰か何とかして下さい。

そうそうかんたんに何とかできるもんじゃないすよ。なにせ相手は人間の基本仕様ですから。