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街や音楽やその他のものについてのあれこれ。

石と玉とをよりわける

スピリチュアル探求中でいらっしゃるらしいGlass Ageさんの現代医学とスピリチュアル・ヒーリング~父の思い出とともにと云うエントリを読んだ。いや、お書きの内容には同意できる部分も多いのだけれど(挙げられている通常医療の問題点は結局だれの責任なのか、と云う部分はまぁ措いて)。

補完代替医療の世界は、当然のことながら玉石混交です。それはある程度やむを得ないかなと思います。

いや、いちばんの問題点はそこにあるのではないか、みたいに思うのだけどね。

通常の医療も、まぁ医師によって玉石混交である側面は残る。ただ、そこにはとをよりわけ、判別するための共有可能な方法が存在するわけで。それがEBMであり、自然科学を背景とした医療、と云うことになるのだけれど。
基本的に、医療行為が玉石混交であるのはそれ自体まずいことで。もちろん通常の医療も万能ではないし、現在行われている療法にもは混じっているだろう(施療者の技倆に負う部分も含め)。それを共有可能な基準でよりわけるために、EBMが語られているわけで。

現状、代替医療に関しては、すべての施療者がみずからのメソッドをだと主張するなかで、その療法を選択するものが自力でを見分けなければいけない状況にある。自己責任で。通常医療の医師に問える責任が、多くの場合代替医療の施療者には問えないケースが、少なからずあるのだろうな、と思う。
現代科学でわかっていないことは確かにまだまだあるのだけれど、現代科学でわかることのできることもあるのであって。多くの代替医療が「現代科学の不備」を言挙げするけれど、こっちで書いたみたいにまずはみずから検証に臨まない姿勢を見せているような代替医療のメソッドについては、である可能性が高い、と考えてもいいのかもしれない、とか思う。

もちろん、治るべき人は治るが、治るべきでない人は治らないと云うメソッドを信じて、その結果治らなくても納得できる、と云うのだったら、まぁ構わないのだろうけれど。