Chromeplated Rat

街や音楽やその他のものについてのあれこれ。

"His" Rock had died (ages ago, maybe)

ねこまるさんのVeggyな人・サンプラザ中野くんと云うエントリで、サンプラザ中野の現況を知る。いまは「くん」まで含めての芸名らしい。デーモン小暮「閣下」のようだ。

爆風スランプ、と云うバンドが特別な存在だった、と云う世代はそうとう狭いと思うけど、ぼくなんかはそこに入るのだろう。と云うか、デビュー前に渋谷陽一サウンドストリートで流したライヴを当時のぼくの周辺にいたロック小僧たちはなぜだかみんながみんな聴いていて、それから数年間はだれもがその活躍を追っていた、と云う記憶がある。

ぼくらが楽器を持ったころ、と云うと、なんと云うか「ロック」と云うものがふつうのものになった時代、「ロック」と云うことばが一定の音楽のスタイルを示すものに移行しつつあった時代、とも云える気がする。アティテュードから、スタイルへ。ジョン・ライドンが「ロックは死んだ」と口にした、その後の時代。
スタイルとしての「ロック」を選択した音楽はヘヴィ・メタルと云うかたちでまずイギリスから、次いでアメリカから流れ込んでくる。アティテュードとしてのロックを選択したミュージシャンたちは、スタイルとしてのロックからどんどん離れていく(ぼく個人としては、ヴァン・ヘイレンよりもアズテック・カメラにロックを感じたりもしていた)。あれ、じゃロックってなんだ? ぼくら小僧どもとしては、楽器を持ってバンドを組もうとしたとたんこう云う混沌とした状況で右往左往していたわけで(とは云えロックの歴史のなかでみんなして同じ方向を向いていたことはこの国でもたぶんないんだろうけど)、そのなかでうちの国のロック、みたいなものはバンドブーム・PatiPatiの時代がまだ来ていない、ってあたり。でもってそのへんで、楽器を持ってる小僧どもがさてどうしようか、と思ったときの模範解答のひとつが、爆風スランプだった、みたいな部分はあると思う。

ただまぁひとつあるのは、爆風スランプはロックだったけれど、別にそれはサンプラザ中野がロックだったってことじゃない、ってこと。たぶんそのあたりに「バンド」ってものの本質があって。ぼくを含め多くの小僧たちが(ここまできたか、と云う感慨もあわせ)「RUNNER」が収録された「HIGH LANDER」を歓迎したけれど、江川ほーじんを欠いた陣容で発売された「I.B.W. 〜It's a Beautiful World〜」は、大多数がひょっとすると聴いてさえいないんじゃないか、みたいに思う(ぼくはいちどもちゃんと聴いていない)。

「ロックって常に世界の最先端を映しているでしょ。
だから今や最先端のロックな人達は
ベジタリアンが多いんですよ」

なので、このことばがかけらもロックじゃない、と云うことについても、驚くにはあたらないんだろうな、と思う。だいたい最先端のロックなんてのは爆風スランプが日本の音楽シーンで重要なバンドだった20年以上前に事実上なくなっていたわけで、もうそれ以降は最先端にいるようなロックなミュージシャンはフォーマットとしての「ロック」なんて捨てるか、かぎかっこに括って対象化していたわけで(こう云う場合つねに別格とできるはずのBlankey Jet Cityでさえ、ロックのフォーマットにとどまり続けたわけではない)。

まぁ、たぶんもともとそう云うひとだったんだろう。いまや中野はホメオパスで、なんちゃってヴィーガンで、株式やFXでひと儲けをもくろむ素人投資家だ。ぼくらが熱狂した爆風スランプの大暴れフロントマンとしての面影や、タフなビートに乗せて凶暴なユーモア(とその背景にあったクールな状況把握力)を撒き散らすたたずまいは、かけらもない。そこに見ることができるのは自分自身の都合を切り売りして商売につなげようとする、スケールのちいさな計算高い「タレント」の姿だけだ。
それは、おなじようにそもそもその本質がロック・ミュージシャンだったわけではなくても、その苦悩と苦闘を通じていまもまさに(ややちまちまと、ながらも)ロックとしか呼びようのない生き方をさらけだしつづけている大槻ケンジとは、まるで対照的に見える。

それでも。

「とにかく世界の中のごく一部の人達の陰謀から
多くの人達が早く抜け出して、もっと色んな物事の
本質的な事に気付いて欲しいですね。
そもそも日本がここまで肉食になったのは、
アメリカのGHQの作戦ですから、今こそ日本の
古くから伝わる本当の伝統食である日本食をみんなが
食べるべきですね。
それはもう今や世界中で認知されていて、
多くの人々が肉食から離れて日本の伝統食を
取り入れてるんですからそこからも明らかですよね」

かつてはいくらかでも信頼のおける存在だ、ヒーローだ、と認識していたこともある人物の口から、いまやこんなことばが発せられるようになったことを知るのは、やっぱり楽しいことではない、のだった。