Chromeplated Rat

街や音楽やその他のものについてのあれこれ。

Thanksgiving

土・日・月の3日間でせんくら2008が実施されていたわけだけれど、ひとつだけ行ったのはつれあいがファンのタブラトゥーラ古楽器を使ってオリジナルの曲を演奏する、と云う、少なくともクラシックで「だけ」はないグループだと思うのだけれど、そのあたりを忖度するような野暮なことをしてもまぁ意味はない。

これだけの老舗グループ(バンド、と呼んでいいのかちょっと躊躇)に対して改めてこう云う言い方もなんだけれど、このグループの着想は絶妙だとも思う。古楽器、と云うのは当然ながらプレイヤビリティと表現力に一定の限界があって(あと音量も)、その範囲の演奏しかできない、と云うことはどんなアイディアを持ち込んでも、実際に演奏するところまでブレイクダウンしてしまえば、そこには一定の枷のような、型のようなものが存在する、と云うことになる。
自由な発想が自由すぎて収拾つかなくなる、と云うことがないので、逆に規制の枠に好きなだけの量と濃度のイマジネーションを流し込める。陳腐な言い方だけれどなんの制限もない状況では創造力の方向付けに困ってしまう、と云うのは往々にして直面する事態で、逆にあまりにも遠くに行き過ぎるとそれは微妙に娯楽としての音楽からは離れていってしまう。

リュート、ビウエラ(この楽器初めて見た)、フィドル。パーカッション担当者はダルシマーも叩く。管楽器担当はリコーダーと、木製のチャルメラ(と云うのかオーボエと云うのか、要は2枚リード)を持ち替えながら演奏。フランスやスペインの田舎の舞曲か、アイルランドの秋祭りか、みたいな、ワンコードで繰返しのリズムを基本に置いたにぎやかで(いや、音量は出ないんだけどね)快活な演奏。多分どこの国の大衆音楽でも16ビートは祭のリズムの基本なんだろう。客席から掛け声がかかる。いいのかそれ。

つのださんは客席にスタンドアップを要求、せんくらとして考えれば違うんじゃないかとかも思うけれどもこのステージではまぁそちらのほうが自然。なかにはステージに上がって踊りだすお客さんも。リュートの親戚みたいな楽器を肩にかけたつのださんがステージを駆け回る。フィドルとリコーダーが跳ね回りながら演奏する。なんだかナチュラルに田舎の収穫祭。面白いおもしろい。
そう云うわけでとても楽しかった、のだけれど、なんか「せんくらに行ってきた」と云う気がさっぱりしなかったことであったのだった。