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街や音楽やその他のものについてのあれこれ。

文脈と問いかけ

おとといのエントリのコメント欄でTAKESANさんにoredocoさんのそろそろ、科学信仰から目覚めませんか?と云うエントリを教えていただいて、ちょっと簡単な感想なんぞ書いていたらご本人がお越しになってご説明をいただいた。ちょっと雑に感想を述べていたな、と申し訳ない部分もあるので、エントリをたててもう少しだけちゃんと書いてみることにする。
ちなみにこれはoredocoさんに対する批判ではありません。切り捨てるような感想を述べたことに対する反省を踏まえた、たんなる補足です。

クオリア理論なんか、怪しいけど、脳科学らしいですよ。

このクオリア理論と云うのが、茂木健一郎の云う「クオリア」についてのものなのか、それとも別のひとが提唱しているものなのか、これでは分からない(脳科学上の問題提議として、茂木健一郎以外のひとが「クオリア」と云う用語を使っている、と云う話も聞かないけど)。だから、怪しいものなのかどうかも分からない(ちなみにぼくは茂木健一郎クオリア理論は怪しいと思っていて、そのことには複数回にわたってここで触れている。時系列で読むと、どんどん疑念が強まっているのが如実に分かって自分でも面白い)。で、ここでらしいですよと結ばれても、oredocoさんがどうお思いなのかがわからない。怪しいけどとおっしゃっているくらいなので、ぼくと同様「それって脳科学でもなんでもないんじゃないの」とお考えのようにも見受けられるけれど、そうするとこの文章は少なくともなにひとつ問いかけていない、と云うことになる。
要するに、ぼく程度の頭の出来ではこの書き方ではなにが云いたいのかまったく読み取れない。で、果たしてoredocoさんご本人はご自分でなにが云いたいのかお分かりなのかなぁ、みたいな疑問に繋がるわけで。

ここで、科学と言う言葉を使うからダメなんだよ。

統計学的にとか、経験則的にとかのほうが、まだマシ。

科学的にというか数学的なロジックで考えようよというのが正しい表現だと思う。

ここでFrancisさんが科学と言う言葉を使うにあたっては、当該エントリのなかで述べられているこちらの文脈を踏まえている、というふうに考えるのが自然で。

条件Aを満たすと結果Bが起こる…「どうしておこったの?」をきちんと突き止めれば科学。そこを行わないで「じゃあCならDだな!」とはやとちれば呪術。

離れた物が影響を及ぼした。不思議だ。「なぜ及ぼしたか?そもそも及ぼしたのだろうか?」をきちんと突き止めれば科学。「一度くっついたらずっとつながってるんだよ!理屈は気にすんな!魂とか心とか!」では呪術。

なんで?どうして?と突き詰めてきちんと解明しなければ、それは呪術なんです。無根拠な因果を信じることが呪術への第一歩なのです。

この文脈のなかで科学と云う言葉の指し示すものが、同じ文脈で統計学経験則と云う言葉と代替可能だとは思えない。と云うか代替してしまうと文意が通じなくなる。
ましてやタイトルにある科学信仰なんて云う話は、Francisさんのエントリの内容にあるどの文脈からもでてこない(同様に「呪術信仰」もでてこない)。

いや、oredocoさんの主張したいことがどんなことであるか、推測できないわけではないんです。でも、それは言及先の文脈とはつながらないんです。つながらない分の文脈は提示してくれないと、読む側にはなんだか分からないんです。って、それだけの話でした。