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街や音楽やその他のものについてのあれこれ。

「万能主義」

こちらのエントリで触れたmohariza6さんが、関連エントリとして江本氏の「水の結晶写真」~現代において、「真」とされることも、「絶対」とは云えないと云うエントリをお書きになっているのを読んだ。どうやら田崎教授の「水からの伝言」を信じないでくださいもお読みいただけたようで、まぁなにより、なのだけど。

どうも、田崎さんのお書きになっていることを誤読されているようで。

しかし、私は、実証できないものを全面的に否定することは、避けたいとの考えです。

まぁ個人のお考えはかまわない。でも、肝心なことをご理解いただいていない。
こちらのエントリで書いたけれど、もし「水からの伝言」の内容が実証されたとすれば、現在の水についての科学的な理解の体系はすべて崩壊するのだ。言い換えれば、実証と云う面で「水からの伝言」の内容を裏付けるものは江本勝の「実験」と称するあいまいな代物しかない。それに対して、有史以来積み重ねられて来た人類の水と云うものに対する自然科学的な知識と理解のうち、現在ぼくたちの生活を支えるために役立てられているものはすべて「水からの伝言を」実証的に否定すると云うことだ。

どちらを信じてもまぁ個人の自由としてかまわないにしても、あまりにもオッズの悪い賭けだと思う。時代背景を前提にしても、ヴェゲナーの仮説とはまったく違う(ヴェゲナーの仮説は、その時点で実証済みだった地球物理学的知見をすべて否定しなければ成立しないようなものではないだろう)。

絶対の理論とは、人間界(3次元の人間)には、認知し、理論化し、証明することは、なかなか難しいように感じます。

私は、その時代(現代)において、「真」とされることも、「絶対(真)」とは云えないのでは?との、天邪鬼(あまのじゃく)的考えです。

なるほど。さしずめ天の邪鬼万能主義、と云ったところか。そう云う方に対して、対話や論理を通して「ほぼ絶対に誤っていると考えられるものの存在」をご理解いただくのは難しいかもしれない(おれは理解しないぞ、とおっしゃっているのと事実上変わらないので、そう云うスタンスの方とは意義のある議論はできない)。でもそう云うスタンスを公言してしまうと、ご自分の言説がなんらかの意義なり根拠なりを持つものである、と云うことを示すのが非常に難しくなる、と云うことは充分お分かりになっていらっしゃるんだろうか。

「文字」を見せ、反応する「水」は、「?」ですが、音楽に反応し(したとされる)「水」のその美しい「結晶写真」は、心が癒されます。
癒される「水の結晶写真」を、全面否定するには、あまりにも「科学万能主義」で、潤いが無いような気がしています。

あぁなるほど。「潤い万能主義」でもいらっしゃる訳ですね。−−みたいなふうに理解されたら、どうお感じになるんだろう。