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街や音楽やその他のものについてのあれこれ。

敵の使い方

hyamamicさんの科学記者は敵か?味方か?と云うエントリと、そこで言及されている毎日新聞元村有希子記者による「化学と工業」の同名の記事(pdf)を読んだ。

現在のところ、hyamamicさんがお考えのようなことについては、ぼくの発想は以前のエントリで書いたこととあまり変わっていないのだけれど。と云うのは要するに、「新聞記者が敵であっても、それを適切に利用して欲しい」と云うこと。

彼女は新聞記者も真実を追うものであると言っているが,果たしてそうだろうか.

それは「そうだ」と云うことにしておかないと、マスメディアの持つ特権と利権が説明できないから「そう云うことにしている」だけで。マスメディア側から自分で「実は新聞記者は既得権を守るのがいちばんの仕事なんです」とは云えない。だから大事なのは、それを云わせないような状況に置いておいて、自分たちの建前を守らざるを得ない状況になんとかして持っていくことだと思う。

この記事では,科学者と新聞記者はタイムスケールの違いについても言及されている.科学者は真理の探究のために多くの時間を割くが,記者は次の日の記事を書くのである.それは役割が違うので仕方が無い.しかし,それを根拠に科学者がわからないと言っているものに記者がそれでも短絡な答えを求めることが正当であると主張するのは無理があるのではないか.これでは,まるで新聞を売るためには嘘をついても構わないと言っているようなものだ.

いや、これは事実上そう云っているわけで。そのことにさえ気付けないほど、現在マスメディアに従事している人間の思考力は衰退していて、モラルも腐敗している、と云うことを意味している、と捉えてもいいと思う。

科学記者が最もやらなければならないのは,似非科学とよばれるものの追求なのではないか?現在出回っているそのような商品について一般市民への洗脳を解くのに一番効果的なのは,現在ではやはりマスメディアであるとおもう.テレビでスピリチュアルな番組をやっている場合ではないのではないか.

ここにはちょっと異論があって。科学記者もマスメディアの一員である以上、自分たちの既得権を守ることに優先するものは事実上ない。と云うことは、マスメディアに対してはなんらかのかたちで「ニセ科学を追求することによるインセンティブ」を与える必要がある。そうでなければ動かないだろう。例えば、彼らが持っているつもりの「報道に従事するものとしてのモラル」をリスペクトしてやって、引っ込みがつかなくするとか。

どうのこうの云っても、マスメディアの持つ力と云うのは絶大なわけで。でもその源泉がなんなのか、と云うことについて真摯に考えることを怠ったつけが、ネットの利用拡大によって表面化しつつあるのが現状だと思う。そのことに気付き始めたマスメディアは現在のところじたばたと見苦しく暴れているけれど、ここで彼らから直接既得権を剥奪するようなことをするのは、ぼくはあまり得策ではないと思う。むしろ、その傲慢を利用して、いま持っている絶大な力をどううまく使うか、を考えた方がメリットが大きいのではないか。例えば元村記者にニセ科学を追求させたいなら、理系白書での彼女の姿勢は絶賛すべきだ、と思う。

できればhyamamicさんのような方には、「科学記者を上手に味方にする」ことを考えていただきたいなぁ、と思ったりするのだった。