Chromeplated Rat

街や音楽やその他のものについてのあれこれ。

こころと命

もうあちこちで触れられているけれど、NATROMさんの信仰と狂気〜吉村医院での幸せなお産と云うエントリを読んだ。

医療について、特にその責任について、科学や代替医療の問題を含めていくつか書いて来た。でもここに見られるのは、個人のこころと社会の倫理、医療の科学面と精神面の、あるぎりぎりの切片のような気がする。

我が子の犠牲を目の当たりにし、選択の過ちを悔い自然分娩はときに危険なものであることに気が付いたというのなら、まだ理解できる。しかし、コラムの筆者は我が子が亡くなってもなお、吉村先生に感謝している。我が子の命よりも、「本当の幸せ」とやらのほうが大事であるらしい。

避けうる危険を避けないこと。そのことで生じる悲劇を、悲劇と認識できないこと。このことを、ぼくらは何らかの問題として認識すべきなのか、あるいは個人の「こころ」の問題として認めるべきなのか。

わからない。ぼくはここで結論は出せない。結論を出せない自分の曖昧さにも、少し恐怖するけれど。