Chromeplated Rat

街や音楽やその他のものについてのあれこれ。

分担

小川創生さんの「発掘『捏造』!あるある大事典II」と遺跡発掘捏造との共通性と云うエントリで、「マスコミと商業主義の不健全な結びつき」について論じておられる。

なんと云うか、ぼくもこのあたりとかこのあたりで、マスコミが本質的に既に公器であり得ない理由みたいなものを書いた。でも、ほんとうのところは、すべての矜持をまだ失っていないと信じたい。そうでないと、マスメディアに関わる人間は自覚的に「一億三千万総白痴化」を自分たちの利益のためだけに推進している連中と云うことになる。そんな人間が堂々と太陽の下を歩けるなんて、世の中は終わりだ(あ、だから連中は夜型なのか)。

それはそれとして、深い示唆のある言葉があった。

もしかしたら私自身にも、自分の職業上の得意な分野で、何らかの責任が生まれてしまうことがあるのかもしれない。昔は発言自体不可能だったが、今ならインターネットという手段がある。そうした状況であることを自覚した上で、あふれかえる情報に接していかなければならない。

そう、出来ること、すべきだと感じることはすべきなのだ、と思う。それが、この社会を構成する人間の本源的な責務であるはずだ。たとえそれが蟷螂の斧に過ぎなくても。