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Chromeplated Rat

街や音楽やその他のものについてのあれこれ。

善意の所在と詩的言語

よしなしごと

最近のmerca論宅さんの爆走ぶりについてはすこしまえにこっちで書いた。書いた手前すこしフォローしていたのだけれど、その後も論宅さんは失速するどころかもはや余人の理解を許さない激烈な加速を続けていて、それなりに見物、みたいな状況を呈している。

まぁそれはそれとして、現時点で最新の、代替医療としての臨床心理士の心理療法と云うエントリのなかに、気になる記述があった。

一部の臨床心理士は、ホメオパシーを使用しているらしい。「ホメオパシー」と「臨床心理士」を一緒にネット検索したら割とヒットする。私の知合いの臨床心理士に聞いたら、自らレメディを使用し、ホメオパシーは偽薬効果でないと断言した。驚いた。

看護師や助産師の一部が代替医療に走りがちなのは、医師にしか許されない医事的な手段の代わりに、なんらかの実効性のある施術をおこないたい、と云う意識があるからではないか、と云う推測が一部であって(このへんはkikulogのビタミンK問題: 助産院とホメオパシー[追記は随時あり]と云うエントリのコメント欄での議論あたりを参照)。ありうるよなぁ、みたいに思いつつもぼく自身はそのことに全面的に同意はできない感じだったのだけれど、同様の構造が臨床心理士にもあるのだとすれば、現状傾向としては否定できない部分があるのかも。あんまり安直に構造を見出すべきような部分ではないけれどね。
この構図、それこそ善意と職業意識に源泉が認められるかたちなので、悩ましいなぁ。


ところで言及ついでなので、今回の論宅さんのエントリについても、ちょっとだけ読みどころを解説しておこうかな。

しかし、未だに臨床心理士心理療法には保健[原文ママ]が利かず、代替医療の枠組みで扱われているのである。厚労省の官僚たち=国家は、易々と臨床心理士に科学のお墨付きを与えないようである。

保険が効く=国家による「科学」認定、と云うロジックにはだれの目にも明らかな飛躍があって、とするとその飛躍がなにを意図して仕込まれているものか、と云うところを推測するのが楽しみかたとしては最適。ここはたぶん厚労省の官僚たちと云う批評的な言い回しを手がかりにして読み解くのがいちばん面白いんじゃないかと思う。

確か日本の臨床心理学の祖は、ユング系の心理学者河合隼雄であり、大乗仏教思想が色濃いスビリチュアル系[原文ママ]の学者である。

人文系のまともな論者がこんな雑で俗流丸出しの認識を河合隼雄に対して持ち出してきたらぼくなんかはぜったい噛みつくところだけど、論宅さんなのでなぜかむしろ安心する。「シンクロニシティ」と云う用語の持つニュアンスを完全に取り違えている世間の安物のスピリチュアリストと同水準なのね、ってことがはっきりわかるので。

もしニセ科学批判者が科学的に解明されていない=科学的に根拠がない、という理由でホメオパシー鍼灸を批判するのなら、同時に偽薬効果理論も否定しなければ、自己矛盾を起こすことになる。

ここにあるもしがそもそも論宅さんによるただの仮定なので、この文章は要するになにも云っていない。で、その仮定は間違ってるよ、みたいなことを(自分のところのコメント欄を含め)何人の人間に指摘されても、もはやぜったいにそれを認めることのできない精神状態に論宅さんは立っていて。そう云うエクストリームな精神状態から発せられる言説、と云うだけで、身体を張ったエンタテインメントとしてはけっこうな代物だと云えると思う。

代替医療の中で果たして治療効果のあるものが本当に存在するのだろうか?唯一あるとしたら、精神分析学による心理療法だけであると考えられる。

根拠らしい根拠はない。いや、あるとしたらこのエントリの前につらなる論宅さん独自のプラシーボ効果に対する考察にあるのだけれど、そこをつまびらかにするとこの一連のロジックそのものが無理筋にアクロバットを接ぎ木したような雑技団的言説である事があきらかになってしまうので、そのあたりはぼやかす、と云うような技巧が用いられている。

精神分析による心理療法は個別的因果関係による個別的なメカニズムを解明するわけであり、自然科学よりも科学的なのである。

もはやこの一節になにが書いてあるのかまったくわからない。ただその点は、これはこの一節が社会科学的な文脈に則った言説だ、と云う先入観があるから瑕疵に見える、と云うようにぼくには思えるようになってきている。むしろ人文科学、それも文学的、詩的言語である、と考えるともうすこし把握しやすい(シュルレアリストたちがかつて行った「優雅な死体」と云うゲームをぼくは思い出す)。
なので論宅さんには、今後はことばのひとつひとつをもっと洗練させていってほしい。読む人間が「意味がわからない」ことに悩んだりすることがないくらいの、圧倒的な力を持つポエムとしての言説を追求してほしい、とぼくは切に願うのだった。

ちなみにこのエントリを書くにあたっての調べものついでで、小飼弾さんの河合隼雄を使うだって?と云うエントリに出会えた。この僥倖については、論宅さんに感謝してもいいかな。