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街や音楽やその他のものについてのあれこれ。

奈辺に愛か存じませぬが

ニケさんの「愛」とか『愛』とか“愛”とか・・・。と云うエントリを読んだ。

あくまでも私の受け取り方を前提としての考えではあるが、「ニセ科学批判」というものは疑似科学批判のうちの特殊な一部に過ぎないということである。このニセ科学批判を行う際に疑似科学批判の考え方を持ち込まれてビリーバーを反科学的だとの烙印を押したり反社会的な行動言動と非難することには断固反対する。

ここでおっしゃるニセ科学批判疑似科学批判もニケさんのオレ定義のようなので、意味が判然としない。ニセ科学批判」というものは疑似科学批判のうちの特殊な一部に過ぎないと云うのは、多分この前の段にある「ウィキペディアで『ニセ科学』を調べたら載ってなくて、『疑似科学』の項目の一部に『ニセ科学批判』と云う言葉が載っていた」と云うことから受けた印象以上の根拠は多分ないのだろう。そのことに基づいてなにごとかが語れる、と本気でお思いなのだとしたら、ちょっとどうかと思う。

批判に当たって「ニセ科学」と云う用語が選ばれてきた背景については、まずは菊池誠による定義が存在する。彼による「ニセ科学」入門に記載されていて、誰でもいつでも読める。批判的な文章を書くにあたってニケさんがこの定義すら踏まえていない(定義なしで一般的に用いられることが多い「疑似科学」と違って、「ニセ科学」については用語の解釈の相違こそありえても通常最低限の語義共有が不能な「オレ定義」は生じない)、と云うことはにわかには信じがたいのだけれど、でなければ上掲の文章と矛盾が生じる。

上記の引用部分にもあるように、「ニセ科学批判の目的が科学の啓蒙や社会の論評であるといった誤解がなされることがあるが、」であるなら本来は啓蒙ではないので、一般人にはその主張を受け入れなければならないなどの何らの批判・非難受ける筋合いのものではない。

ニケさんの引用部分はニセ科学批判を行う人間に対する執拗な荒らし行為で著名な「ふま」氏による度重なる編集が加えられている部分なので、やはり論拠とするには信頼性が低すぎる(と云うか、ウィキペディアを「参考」とするのではなく、それだけを根拠になんの検討もなしに議論が進められるようなものだ、と考えている時点で、残念ながらある程度主張における誠実さを疑われても仕方がないと思う)。

個人的に「水伝批判」に傾倒して水伝に対してトンデモだとか非科学だとかと考えることは自由であるが、他人に対して批判・非難は出来ないと考える。

非難はともかく批判については、この文章は見事に自分の喉笛を切り裂くブーメランですね。

何故物理学教授が「陰謀論批判」を行うのか?には関心がある。いまだ理由がわからないままであるが、「水伝との親和性」ということらしい。

根拠もなく楽しくらしいでものを云う前に、そもそも陰謀論批判がどのような文脈から行われてきたのかをまず確認したほうが、恥をかかずに、誠実さも疑われずにすむと思う。公開の場で議論されているのだから。

しかしそれこそ科学的な思考でないと私は考える。

根拠もなく楽しく考えたことを開陳する前に、そもそも陰謀論批判がどのような文脈から行われてきたのかをまず確認したほうが、恥をかかずに、誠実さも疑われずにすむと思う。公開の場で議論されているのだから。

いきなり名指しで批判してきたのはたんぽぽ氏であり、先ずはそのやり方に批判がある。
「彼らは、相手の「間違い」を見つけると、いきなり名指しで攻撃して平気である。」
こういうのは性癖といえるのでなかろうか?と感じてしまったのがこの引用部分である。

ちゃんと名指しで批判したほうが、「誰の、どんな言説に対して」批判しているのかがはっきりわかっていいじゃん。正直ぼくはニケさんのこの文章で執拗に出てくる「愛」について、誰がどんな意味合いで使っているものに対して言及しているのかさっぱりわからないので、相当もやもやしているわけだけど。まぁ、こう云うことをおっしゃっているニケさんご本人が、この同じエントリの中でたんぽぽさんや菊池教授、天羽准教授に対しては名指しで批判しているわけなのだけれどね。

それよりも大事なことは「ニセ科学批判」そのものが疑似科学批判として私が理解していることから大きく外れ、常識のないやり方で、一般人を相手の「魔女狩り裁判的な」ところを感じるし、「謙遜などは微塵もなく『矜持』などはどこかへ忘れてきたかのような知識人として恥ずかしい態度」が、水伝批判に名を借りた他の方達へ病気のようにどんどん蔓延して行っているようだ。

どうも日本語として文意の取りづらい文章なのでよくわからない。この文章の意味がよくわからない理由としてはほかに、先述のように疑似科学批判として私が理解していることがなんなのかわからないこと(それは誰とも理解を共有されていない。特定の意図をもって編集されたウィキペディアの文章を鵜呑みにしている、と云う理解で構わないのならちょっとはわかるけれど。まさかね)、魔女狩り裁判的と云う言葉で何を表そうとしているのかがわからないこと(魔女狩りと云う言葉は意味が強いうえに非常に幅広い含意を持たされてきた歴史があるので、「どのような意味で使っているのか」をまったく示さないで用いるのは危険)が挙げられると思う。

「水伝は科学を騙った」ただそれだけ。その点は批判するに値する。ただそれだけ。

ただそれだけ。が2度も用いられているけれど、よくわからない。引用されているのが吉岡英介氏の文章なので、例えば「ニセ科学を根拠にアトピーに苦しむひとたちやその家族を相手にして商売をする」ことをもただそれだけ。と言い切っているように読める。ほんとうにそうなのだとしたら、ニケさんの姿勢そのものをぼくには許容できない。

ニセ科学批判」とは、このようなものである。

ニセ科学批判とは、そのようなものではない。

ニセ科学擁護者や、ニセ科学で商売をしているひとたちの偏った言説に基づいて批判をする前に、最低限いくらかは批判対象のことを理解するように努めましょうよ。手短に読めるFAQだって存在するんだから。