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街や音楽やその他のものについてのあれこれ。

あなたの力と、あなたの思い

整体に従事していらっしゃるほっちゃんさんの難病セミナーと云うエントリを読んだ。
ここから先は、ぼくがほっちゃんさんに聴いてほしい、と感じたことを書く。いつものエントリの書き方とは、だいぶ違ってしまうかもしれない。

今日は、特別講師として、水の研究の第一人者で、「水からの伝言」という
水の結晶の写真集で有名になった江本勝先生に、いろいろなお話を聞かせて
頂きました。
江本先生の考え方は、人間は、なぜ病気になるかといえば、素粒子レベルの
波動の乱れが、細胞に症状として現れたものだということなんです。

その考え方に、根拠と云えるような根拠はありません。
江本勝氏の「水の研究」は、科学的な意義を認められていません。そして、彼はその意義を認めさせるための努力を行っていません。あるときは「現代の科学が未発達だからだ」と云い、またあるときは「化学ではなくファンタジーだ」と云って、言を左右にして議論をかわそうとしつづけています。

そのため、水に波動を写して、その水を飲むことで、ガンを含む、難病の
波動を打ち消すことによって治療をする方法もあるそうなのです。

ホメオパシーはニセ医療であり、ニセ科学です。ホメオパシーに対し整体に従事していらっしゃるほっちゃんさんが理解を示すことは、ほっちゃんさんの施術に対する信頼性を、ホメオパシーと同水準にまで貶めることになります。

水の結晶が、聴かせる音楽によって形を変えたり、写真や文字を見せると
その内容によって、結晶の形が変わるのだそうです。

ほっちゃんさんは、音楽を愛していらっしゃると思います。音楽を愛していらっしゃる方が、どうして「あるジャンルの音楽は美しい結晶をつくり、あるジャンルの音楽は醜い結晶をつくる」なんて考え方を受け入れてしまうのですか?
音楽に貴賎がある、そのことを(聴くものではなく)水が判断する、と云うような考え方を、どうして受け入れることができるのですか?
ぼくにも好きな音楽があり、またそれほど好きではない音楽もあります。それは、聴くぼくが決めます。水なんかに、音楽のよしあしを決められる、なんて云うことには耐えられません。

何といっても、今も病気との闘いを続けているあいちゃんに、少しでも
役に立つ情報が得られたらという気持ちもあって、行ってきました。

そのお気持ちは、すばらしいと思います。だからこそ、信じられるものと信じるべきでないものを、真剣に、誠実に見分ける努力を惜しまないでください。

ほっちゃんさんの誠実さを、あいちゃんへの思いを、ぼくは疑うものではありません。
また、ほっちゃんさんとえでぃ先生の整体が、あいちゃんを癌から救うなんてことはありえない、と云っているわけでもありません。そのことはぼくには分かりません。

ただ、忘れないでください。
あいちゃんの癌ををお持ちの整体の技術で治す、と決意なさったほっちゃんさんには、お医者さんと同じだけの責任が生じています。あいちゃんの脚を切断し、転移を防ぐことでその命を守る、と決断したお医者さんと同じだけの。

小さな女の子の脚を切断する、と云う判断が、そのお医者さんにとって軽いものだったとお考えですか?
でしたら、なおさら、そのお医者様以上の責任感を持って、あいちゃんの命を守ってください。

ほっちゃんさんがすべきことは奇跡を祈ることではないのです。あいちゃんの命を救うことなのです。
お医者さんは奇跡を祈りません。そのお医者さんができる最善のことが何かを考え、決断を下します。その決断が誤っていた場合には、訴訟のリスクも抱えています。それだけの責任を背負っているのです。

ほっちゃんさんが、そしてご一緒にお仕事をされている方々が背負おうとしているのは、それと同じだけの責任です。それを忘れないでください。
そして、その責任を果たすためには、「信じられるような気がする」ようなお話に頼っている余裕はないはずです。

医学は万能ではありません。西洋医学も、その他の体系の医学も、すべての病気を治すことはできませんし、ひとがいつか死んでいく、と云う事実に抗うことはできません。そのなかで、可能なかぎり最善の努力を払うための歴史を積み重ねてきました。そのための方法のひとつが、科学的な方法に則ることです。

これは西洋医学に限りません。ぼくが以前に取り上げたアロマテラピーに従事されているかた中医学に従事されているかたは、いずれもご自分のたずさわる医療技術を西洋医学と同じ土俵で、同じだけの責任を負える高みを目指して努力をされていらっしゃいました。

奇跡を求めないでください。奇跡を待ち望むことは、無責任です。
あいちゃんのことは、ぼくも痛ましく感じます。あいちゃんが脚を切断せずにすみ、また走り回れるようになったとしたら、それは奇跡などではありません。ほっちゃんさんの、そしてあいちゃんに施術を行ったみなさんの力です(もちろん、お医者さんの力もそこにはあると思います)。

愛が、思いが、ひとを病から救うことはあると思います。ひとは身体と心を切り離すことができる存在ではありませんから。ほっちゃんさんの、えでぃ先生の、そしてご両親の思いが、あいちゃんを救うことはありえると思います。
ただその愛は、思いは、水なんかが伝えるものではありません。素粒子の波動なんかで伝わるものでもありません。ほっちゃんさんから、えでぃ先生から、ご両親から、あいちゃんへ。ひとからひとへと伝わるものなのです。