Chromeplated Rat

街や音楽やその他のものについてのあれこれ。

Re: 問題の切り分け。まん延

ここで、それなりに継続的にニセ科学問題について扱って来た。けっこう行きつ戻りつの、結論を急がない脇道たっぷりの議論をして来た。それは、議論の過程で多くのものが得られる、と云う認識に基づいたもので、だから個人的な結論めいたものには至っていないし、慌ててそこに辿り着こうとも思っていない。
ただ、(今後も変化しうる)当座の立ち位置と云うのもあって。TAKESANさんの問題の切り分け。まん延と云うエントリに答えるかたちで、少しその部分を書いてみてもいいかな、なんて思った。

ニセ科学とは何か。
現時点では、apjさんの定義に準じます。「科学を装い」「科学でないもの」です。この「科学でないもの」と云う表現のなかには(pooh的には)「科学的に実証されていると偽っているもの」「科学的な手順に則っていないもの」のいずれも含みます。この「科学的な手順」は自然科学的に厳密なものも含みますが、本質的に科学的な思考法を辿っていないものも含みます。
ニセ科学を批判するのは何故か。
それが本質的に、人間が積み重ねて来た智恵に対する侮蔑のうえに成り立っているからです。この侮蔑はニセ科学を信じる人間自身にも、社会全体にも向けられているものです。
ちなみにぼくはその意味で、おそらく同時に「ニセ呪術」も批判しているのだと思っています。
ニセ科学はどの程度広まっているか。
分かりやすいので「水からの伝言」を取り上げると、少なくとも、「愛」や「感謝」について「水の結晶」をベースに語ろうとする言説が、あからさまにビジネス目的であるものを含めネット上でほぼ毎日複数発信されているくらいには広まっていると思います。
ニセ科学が広まっているとすれば、それは何故か。
個人的にはいくつかのエントリで扱った「紋切型思考」の拡大が原因だと思っています。じゃあその「紋切型思考」の拡大ってのはどんな事象で、どうして拡大しているのか、についてはこれからも継続的に考えていくことになると思います。
(上と関係するが)ニセ科学的言説が肯定的に(つまり、批判的に検討されずに)伝達される場合、その理由は何か。
これは継続的な検討課題です。ぼくなりに思考を続けて行くつもりです。

非常に中途半端だけれど、なんと云うかまだぼく自身が中途の段階にいるので仕方がない。多分、簡単な答えを欲しがるようでは意味がないのだろうから。