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街や音楽やその他のものについてのあれこれ。

「正味」の強さ

先週から今週にかけて、高野秀行を二冊読んだ。今日読み終わったのはこれ。

ミャンマーの柳生一族 (集英社文庫)

ミャンマーの柳生一族 (集英社文庫)

  • 作者: 高野 秀行
  • 出版社/メーカー: 集英社
  • 発売日: 2006/03/17
  • メディア: 文庫
 

面白い、面白い。もう止まらない。

高野秀行と“不肖”宮嶋茂樹にだけは、どうやってもかなわない、と云う気がする。

行かねえだろ、と云うようなところに、行かねえだろ、と云うタイミングで行く。高野秀行は辺境作家(と自称しているがそんな職業聞いたことがない)、宮嶋茂樹は戦場カメラマン(まぁ取材先は戦場に限らないが、その真価は戦場カメラマンとしてのそれだと思う)。どちらも筆致を追う限りひたすら現地で陽気に、呑気に振る舞っているように見える。

でも、それでも、ちょっと冷静になってその活躍の舞台を考えると、彼らはいつも凄まじい状況に置かれている(同じ状況に置かれたら、絶対に彼らのように振る舞うことなんかできない自信がぼくにはある)。高野秀行はぼくと同い年で、宮嶋茂樹は5歳年上だ。でも、最近時折テレビなんかでも見かけるようになった宮嶋茂樹の髪は、40代半ばにしてすでに白くなっている。著書を読む限りどこでも楽しく軽薄に行動しているように見えるけれど、例えば鴨志田穣を夭逝に追いやった遠因である「戦場カメラマンとしての経験」がどんなに凄絶なものか、なんとなく想像できるような気がする。

先週・今週と、高野秀行ミャンマーについて書いたノンフィクションを読んだ。今日読み終えたのが上掲の「ミャンマーの柳生一族」。
高野秀行の大きな魅力は、その文体にあると思う。誇張のある、笑わせんばかりのギャグはまったくと云っていいほど使わないのだけれど、文章に飄々と、しみじみとした可笑しさをたたえさせることのできる力量はもうそれだけで練達の技を感じさせる(この辺り宮嶋茂樹とは一面対極的なのだけれど)。ぼくはこの本を読んでいる間に耐えきれずになんども爆笑して、その度につれあいに気持ち悪がられた。
その文章力に乗せられて楽しく読み進んでしまうのだけれど、実は書かれている状況はまるきりイージーではない。そもそも取材自体が、高野秀行一流の語学力と度胸がないと成り立たないような代物だったりするのだ。
ミャンマーは江戸時代だ。中央政府は幕府で国内の諸民族は諸藩だ。国軍は幕府の正規勢力で、情報部は柳生だ」と云う見立てで、ちょっとした破綻をきたしながらも楽しく現在のミャンマーの国情を読み解いていく。その手腕は鮮やかだけれど、その文章を書くために「裏柳生」の手の者に監視されながらミャンマー国内を旅してまわるなんて、ふつうの(少なくともぼくの)感覚では御免蒙りたい。と云うかそんな度胸はない。不肖・宮嶋と同行して紛争中のコソボだのアフガンだのサマワだのに赴く度胸がないのと同じように。

でも、彼らはそこに、等身大の自分を投入する。その、正味の人間としての強さ。
本当に凄いのは、彼らがその行動力の結果として生み出すのが、正真正銘の「エンタテインメント」であることだと思う。

ちなみに先週読んだのはこれ。

アヘン王国潜入記 (集英社文庫 た 58-7)

アヘン王国潜入記 (集英社文庫 た 58-7)

  • 作者: 高野 秀行
  • 出版社/メーカー: 集英社
  • 発売日: 2007/03
  • メディア: 文庫
 

ミャンマーの反政府勢力の村に潜入してそこで暮らし、ケシの栽培を手伝い、ついでにアヘン中毒になって帰ってくる、と云う概要だけ書くと、この本がのほほんと楽しく読めるルポルタージュであるとはとても思えないと思う(実際にのほほんと登場してくる人物のなかにはそのあとで戦死したとおぼしきひともいるし、暗殺されたひともいるのだけれど)。こう云う、なんと云うか個人としての強靭さ、と云うのには、やっぱり憧れる部分があるのだった。