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街や音楽やその他のものについてのあれこれ。

言葉が宿すもの

略語、と云うのがあんまり好きではない。略語は原義を離れて、別のニュアンスを帯びる。例えば、ぼくにはだいたいの差別用語が実は略語としての生い立ちを持っているんじゃないか、と云う気がする。
とりあえず言葉がもとの意味を離れて別の意味を宿す仕組みってどんなふうになってるのかなぁ、なんて、ありがとう研究所と云うサイトを見て思った。

水からの伝言」絡みで、「ありがとう」と云う言葉の素晴らしさを強調するあまりにいつの間にやら言葉のもともとの仕事である「感謝の意を伝える」と云う機能を完全に失ってしまう、と云う例をいくつも見て来たし、言及もして来た。多くの場合「ありがとう」と云う言葉はともかくも抽象的な「いい意味を持つ」言葉に変質していく。このサイトではそんな意味さえ失われ、もはや原義に含まれる「感謝」と云うニュアンスのかけらも残っていない、呪文と云うかお題目と云うか、そう云うものにまで変質している例がたくさん載っている。

この辺り、どんな条件が揃うと起きる現象なんだろう。dlitさん辺りに訊いてみたい、なんて思ったりした。