Chromeplated Rat

街や音楽やその他のものについてのあれこれ。

モーツァルト

なぜか、無生物に良い影響を与える音楽と云うとモーツァルトがいつも筆頭に上がる。
モーツァルトがあんまり道徳的な清い心の持ち主だったとも、万物に感謝しながら幸せな人生を送ったとも思えないんだけど。

天才かと云われれば、まぁ天才なんだろうな、と思う。でも、好き嫌いで云うとあんまり好きではない。クラシックはそんなに造詣がないし日常的に聴く訳でもないのだけど、どうせならベートーヴェンとかショパンみたいな、ろけんろーるの薫りがする(まぁどちらかと云うとかっこわるい)代物とか、あるいはフランス人の作曲家のものが好きだ。
モーツァルトは、なんと云うか、聴いていて嘲笑われているような気分になる事がある。だからうちにも2、3枚しか録音はないはずだ(その中にはホグウッドとエンシェント室内管弦楽団の交響曲40番なんて妙なものも混じっている。さっき見つけたので久しぶりに聴いてるけど、やっぱり変だ)。ともかく綺麗で、安らかになるけれど、でもそれはどこか馬鹿にされているような感覚も受ける。そりゃないだろぬけぬけとまぁ、みたいな。

モーツァルトが好きだ、と口にする人間には2種類会った事がある。ひとつはぶっとんだ感受性とそれを言語化する透徹した知性を持ったタイプ。もうひとつは、口にする言葉のほとんどが紋切型で構成されているような(まるで言語を大脳を介さずに、脊髄で扱う構造になっているような)タイプだ。前者についてはぼくは生まれてからひとりしか会った事がないが、後者については何十人か会った事がある。後者はどこか得意げに音楽の話を持ちかけてくるけれど、できるだけ「おいらみたいな野暮天に音楽の話なんざぁ分かりませんや」みたいな顔をしてスルーする事にしている(この種の人間に自分の好きなミュージシャンの話なんかすると、なんとなく汚れるような気がするから)。

などと考えると、お水さまを美しく結晶させるのにはモーツァルトがいい、と云うロジックは、非常によく考え抜かれているのが分かる。なにごともひたすらに表面的に捉える人間が戦略的なターゲットで、そう云う人間は美しい音楽と云うと(真面目に聴いた事もないくせに)モーツァルトだと思い込んでいる訳で。

さぁ、墓場でモーツァルトが嘲笑してるぞ。