あげあしとり
こちらのエントリの続き、と云うわけでもないのだけれど。 たとえばある一定の事柄に対して、継続的に批判的な論陣を張っている論者、と云うのはいる(たぶんぼくもそうだ)。で、そう云う論者がべつのだれかを批判するときに、自分が批判的な言説を発してい…
ここ何年か自分が関わってきたネット上の会話とか議論とかに関連して、ちょっと思ったこと。
あまり一般的に流通しているタームではない、と云う印象があって、あんまり意味もわからない。とりあえずはてなキーワードの「自称中立」の項目にある意味で捉えてみるかぎりにおいては、当事者もしくは、賛成反対のどちらの立場でもない旨を語っていること…
まぁ「安心・安全」でもいいのだけれど。 なんとなくこの組み合わせで、まるで成語のように使われる用例を見かけるように思う。でも、このふたつのことばの取り合わせの意味を考えると、じつはよくわからなくなる。
dlitさんの[学問][雑記]議論におけるタグ付けとしての罵倒表現と云うエントリを読んだ。で、どうもこの「レッテル貼り」と云う表現の持つニュアンスが前から気になっているのでちょっと書いてみる(どうでもいいけどdlitさんの新しいプロフィール画像がなん…
ぼくは今でこそパスタファリアンを自称しているが、多分それまでは自覚なきボコノン教徒だったんだと思う。 「愛をどうか少なめに、親切を多めに」。
ところでこのブログには"Engel"と云う言葉がURLに入っている(全体としてスペルを間違っているのはこちらに書いたとおりだけど。直せないんだよぅ)。Engelは英語ではangelで、大体「天使」と日本語訳される。「天使」はお水さん的にはよい言葉に分類される…
つい使ってしまいそうになるけど、なんか根本的にこの言葉が嫌いだ。 言葉の意味するところが嫌いと云うより、使う人間や使われるシチュエーションが嫌だ。
こういうの、大阪辺りには結構いるような。 いや、おいらも柄の悪い神戸っこですが。
「しない善より、する偽善」。 2ちゃんねる界隈でよく使われる言葉だ。本当かどうか知らないがひろゆきの言葉らしい。
このエントリの続きと云うことになるのか。 いじめる子供といじめられる子供を分けるのは、結局その子供の自信のありどころの違いだと云う気がする。と云うか、自信と云うものの意味の違いか。
いじめられることは、自分の周りの環境と対決することだ。つまりは、それはいじめられる方からすると戦いだ。 旗色が絶望的に悪くなって、どんな活路も見出せないような戦いで、死を選ぶ。別段、なんの不思議もないのじゃなかろうか。
アングロサクソンは強い。 なんたって身体がでかい。肉を喰ってる。信仰がある。 その信仰は、「一生懸命頑張って成果を上げるのは神の御心にかなう」と教えている。 だから、勝とうとすること(敗者を作ること)に躊躇がない。