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街や音楽やその他のものについてのあれこれ。

「『ニセ科学撲滅運動』が『ニセ科学』に堕した5年」解題

よしなしごと

ここをあまり更新しなくなってからもうだいぶ長くなる。なので、ここでなにかを書くことがいくらかの注目を集めることは(以前と比較して)相当に少なくなった。なので、すこし気負わずに書いてみよう。 さつきさんの「ニセ科学撲滅運動」が「ニセ科学」に堕した5年 と云うエントリを読んだ。

 命名をする。略語を与える。キャッチフレーズをつくる。――こう云う行為を行った瞬間に、そのことばはそれが本来指し示すべく意図された、本来はある程度の広がりと複雑な背景を持つ文脈をある程度離れ、独自のニュアンスを獲得しはじめる。 このことが命名をしたものにとって望ましいことである場合も、そうではない場合も両方ある。

たとえば「ニセ科学」と云う言葉は、そもそもが価値判断を含んだ言葉で、最初から取扱注意なところがある。なので、指し示す射程が広がらないよう、比較的注意深く論じられてきた経緯が存在する。もちろん論者によって、そのあたりにどれだけ配慮するか、は違ってくるのだけれど、そこには(かつては、と云うべきなのかもしれないけれど)そこそこ強靭な相互批判も存在した。 よそさまを例示に挙げるのは気が引けるので、この場所でのそうした営為を挙げてみよう。ぼくはこんなエントリニセ科学の概念の我田引水的な拡張に対して異を唱えたりしたし、こっちこっちで「ニセ科学批判の内面化」について批判的な言説を行ってきた。

この後者の「ニセ科学批判の内面化」は、ニセ科学に関する問題を論じる論者が陥りがちなそこそこ大きな陥穽、みたいにずっと考えてきた。 ニセ科学が問題視されるべき事象であるならば、ニセ科学批判を行うことは「正しい」ことで、ゆえに科学の側に立ちニセ科学批判を行う自らは正しく、おのれに異を唱える論者は間違っている。正しい論者であるおのれはその正しさゆえに重んじられるべきであり、そのおのれに異を唱える論者は撲滅されるべきである。――じっさいのところ、こう云う論理で行動する論者は何人か見受けられたし、いまでもそのようなニュアンスを含む見地からニセ科学に対して批判的な言説を行う論者は存在する。 そしてまぁ、このさつきさんと云うかたは、そうした論者のひとりではあった。

この、科学の啓蒙を率先して行ってきたグループのことを「ニセ科学批判クラスタ」と呼ぶ人もいるようですが、彼らがおこなってきたことを、ここでは「ニセ科学撲滅運動」と呼ぶことにしましょう。

このニセ科学撲滅運動」と云う用語に違和感を持つ向きがそこそこいたようだけど(ぼくを含めて、だいたいのニセ科学問題を継続的に論じてきた論者は、ニセ科学が撲滅できるものだって認識していないケースが大半だろうから)、この種明かしは簡単で。要するにこのさつきさんと云うかたが行ってきたのがニセ科学撲滅運動」だった、と云うだけの話で。 ちょうど都合よく用語が提示されているので、さつきさんたちを「ニセ科学撲滅運動クラスタ」と呼ぶことにしよう。彼らの特徴はまさに、「『ニセ科学批判』にある『正義』の内面化」にあった、とぼくは思っている。なので彼らの行動原理はざっと、

  1. ニセ科学は正しくなく、不正義である
  2. したがってニセ科学に批判的である自分たちは正義である
  3. 正義である自分たちに批判的な論者もまた、不正義である
  4. 不正義な言説は撲滅されるべきである
  5. ゆえに、自分たちの言説に批判的な論者、およびその論者が所属する陣営は撲滅されるべきである
  6. 不正義を撲滅するのに論点などは選ばれるべきではない。それは正義である自分たちに対立する不正義であるがゆえに

みたいなもので。撲滅の対象はニセ科学そのものではなく、それに神話性親和性を持つ論を張る論者、あるいはその陣営。 いくつかポイントがあって。まずはなぜか彼我を陣営に分け、団体戦に持ち込もうとすること(うちもコメントスクラムを喰らった)。「撲滅されるべき不正義な論者」は、論点が科学であるか、ニセ科学であるかにかかわらず、撲滅されるべきであると云う認識。 こうなってくると議論はニセ科学でもなんでもなくて、科学なんてのはおのれの正義を裏付けるための錦の御旗以外のものではなくなってしまうのだけれど、さつきさんたち「ニセ科学撲滅運動クラスタ」はおおむねそう云う行動原理で動いていた。

ちなみにこの「ニセ科学撲滅運動クラスタ」はその後内部で小さな陣営に分裂し、互いに不正義を撲滅しあった結果として多くの論者は表舞台で発言しなくなり、その一部はそのまま「ニセ科学批判クラスタ」になんとなく紛れ込んだりしている。ただ、どこかで彼らはまた同様の行動を繰り返すのだろう、みたいに思ってぼくは見ていたりする。

例の「メルトダウンじゃないだす」発言を巡るcavu311さんのこちらのTogetter を読むと、まさにこれは私の定義する「疑似科学」よりもタチの悪い、「ニセ科学」そのものです。

5年も前の、しかも発言者本人がとうの昔に誤りを(なぜそう誤ったか、と云う説明を含めて)公式に認めている発言をあげつらうのも、まぁ目的が撲滅なので、本人的にはなんの違和感もないのだろう(かつての「ニセ科学撲滅運動クラスタ」は、おのれの良心に従って躊躇するような行動をする人間を、陣営内部で互いに弾劾するようなひとたちだったし)。 まぁ同様に、

福島の原発事故をきっかけに、原発こそが最大のニセ科学であったことに気づいた人も多かったのではないでしょうか。

ここにあるニセ科学の用法に違和感を感じる向きも多いだろうけど、これを「おのれ(ら)の正義にまつろわぬ不正義」と云う意味で使われているとすれば、意味は通るだろう(アクロバティックな意訳に見えるだろうけれどね)。 まぁ、科学を正義を意味する錦の御旗と捉える考え方には、ぼくも以前から何度も反論してきたけれど。でも、この方が今になって(しかも以前からのスタンスを変えないまま)それを標榜するのは、ぼくのヴォキャブラリーのなかでは「盗っ人猛々しい」ってのがいちばん適切なところかな。