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街や音楽やその他のものについてのあれこれ。

ともに

近所・仙台

市の献花会場には行かずに、街中の葬儀社が設けた献花場に、昼間のうちに行った。今日は多くの葬儀社が献花場を設置している。

献花場に行くのはもちろん追悼のためだけれど、追悼は自分自身のため。いまの暮らしはいまの暮らしであるし、仙台市の街中に暮らす身としてはとくに不自由は感じない。元気もある、だけどあの日とそれに続く日々に起こったことは、ぼく(たち)の中から消えることはない。こころの表層からは、日々薄れていくけれど。

ぼくたち、とは云っても、あのときに体験したこと、感じたことはひとりひとり違う。どれだけのものを失ったのか、取り戻せたのか、も違う。ひとつの名前で呼ばれるおなじ災害を経験していても、その部分はたぶんほんとうにはわかり合えないし、完全な共感もたぶん、ない。

でも、そのわかり合えないだれかと再会できた時、そして別のだれかともう二度と会えないことを知った時に、そのつど自分のなかに湧き上がってきた感情は覚えているし、薄れていくことはあっても忘れてしまうことはないだろう、と感じる。

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10代の終盤あたりから分析心理学に馴染んできて、自分自身のいろんな発想に影響している。科学的か、と云うとそうは思ってはいないのだけれど、すくなくともいろいろな場面で応用できる比喩としてはうまくできているといまも考えている。あの日と、それから続く日々のあいだにもう会えなくなったひとたちは、いまのぼく(たち)を構成する一部となって、その意味ではずっと、ぼく(たち)とともに、いまも、きっとこれからもいつづける。