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街や音楽やその他のものについてのあれこれ。

町田樹、引退。

いつもだったらほんとうは、フィギュアスケート全日本選手権について書いているべきタイミング。でもまだちゃんと見られていないのもあるし、なによりもこのことのインパクトの大きさに、ちょいとびっくりしてる。

引退のご挨拶|町田樹からのメッセージ 

 

ぼくは町田くんのことがよくわからなかった。これは前のエントリに書いたとおり。でも、彼の発想や考え方はあまり(フィギュアスケート選手として)類例のないものであっても、それほどわかりづらいものではない、と云うのを、ぼくは悟ったばかりだった。 このタイミングでの引退。それは「フィギュアスケート選手であること」を「(町田樹と云う)ひとりの人間であること」に対して優先しない、なによりも自分自身をすべての主体として捉える彼らしい姿勢の顕れなんだろうな、と思う。自分自身の存在を、フィギュアスケート選手としてのありかたに仮託しきってしまわない、姿勢。

フィギュアスケート選手は引退後は「フィギュアスケート選手でない自分」と向き合うことになる。もちろんそれは(競技に熱意をもって取り組んでいればいるほど、強く打ち込んでいるほど)かんたんなことではない。全身全霊を傾けて競技に打ち込むことを、ぼくたち観客は選手に望む。でもそれは、ほんとうに(彼ら彼女らの人生において)望まれるべきことなのか。

近年では、スポーツ選手のセカンドキャリア問題が社会問題となるに至っており、JOCも問題解決に向け、アスリートセカンドキャリアサポート事業などに取り組んでいるほどです。私も、自分自身の選手引退後のキャリアデザインに苦労した一人です。しかしながら、周囲の方々のご指導のもと、自分自身でセカンドキャリアへの一歩を踏み出せるよう、競技を続ける傍らで、文武両道を旨に、ここまで準備をして参りました。
2015年4月、早稲田大学大学院スポーツ科学研究科・修士課程2年制に入学後は、博士課程進学を視野に入れ、将来的には研究者を目指し、一大学院生として精進して参りたいと強く思っております。フィギュアスケートをスポーツマネジメントの領域で考察する研究者として、社会から真に必要とされる人材になるべく、真摯に新たな道を歩んでいく所存です。

このあたりは正直にならないと話にならないので云ってしまうと、一観客として、演技の中に仄見える彼のこう云った考え方が、かつてのぼくにとってちょいと興ざめだったりしたのはまぁ事実で。でもアスリートにある種のイノセンスを求めるのは、観客の立ち位置に安住するもののエゴだ。

自らの演技を「作品」と称して、そこに自分自身の完全なコントロールを施そうとする(アスリートとしてにじみ出てくる肉体の躍動さえも制御下に置こうとする、ファースト・インプレッションで「緻密」と云うことばが連想されるような演技を見せてきた)彼の姿勢はわかりやすいものではなかったけれど、その彼ならではの怜悧さが成し遂げうるものは存在するはずだ、なんて思う。これからの自分と、「これから来るもの」たちのための選択。 彼の研鑽と、そこから生み出される仕事。言い換えよう、そこから生み出される「作品」に、期待したいと思う。