Chromeplated Rat

街や音楽やその他のものについてのあれこれ。

「自称中立」

あまり一般的に流通しているタームではない、と云う印象があって、あんまり意味もわからない。とりあえずはてなキーワードの「自称中立」の項目にある意味で捉えてみるかぎりにおいては、当事者もしくは、賛成反対のどちらの立場でもない旨を語っていることが前提にされているように思える。ただ、用いられ方を見るかぎり、どうも明示的に自分のスタンスが中立的である、ニュートラルであると主張していなくても(自称していなくても)「自称中立」と他称されることもあるようなので、なんだか難しい

党派性、と云うのは、議論の全体を俯瞰したうえで、自分の立ち位置をそのなかでのある(同種の意見を持つ複数の論者によって構成される)セグメントに所属している、と云う意識があってはじめて生じるもののように思う。自分個人で自分の思うことを主張しているかぎりにおいては、その主張が特定のセグメントに一般に見られるものに類似していても、本人としてはそこが中央点なわけで、なので本人から見ればそれは「中立的な意見」。

もちろんその意見が適切であるかどうか、と云うことについては他者からの意見もあるだろうし、その他者からの意見を受け入れて自分の意見を変えることもあるだろう。議論の場所と云うのはそう云うもので、そう云う相互の影響が生じないようなら表通りの議論の生じている場所で意見を発する意義はほとんどない。ただ、本人が党派性を意識して発言していないのに、その発言の内容を特定の党派にあてはめて、その党派一般に対する批判を行うことでその本人への批判に代える、と云うやり方は、あまり実効性がないと思う。

「あなたは中立だと思っているでしょうけど、じつはこの党派に属しているんです。その党派の主張はこのような理由でまちがってるんです。したがってあなたの意見もまちがってます」
こんな迂遠なことを云われても、まぁたいていは困ってしまう。本人は自分が正しいと思う意見を云っていて、その意味では本人にとってはその意見は中立的なわけで。もちろん本人が自分自身の意見に存在するバイアスの可能性を意識していたとしても、とりたててそのバイアスを隠蔽しようとするような発言上の技巧を使っているわけではないかぎり、「自称中立」と云われても困ってしまう。もっと直接、おれ自身の表明した意見の内容について批判してくれよ、とか普通は感じる。

逆にこの「自称中立」と云う用語を使って他者を批判する側にも、ここの部分の陥穽からは逃げられなくて。とりあえずこの論法を用いた時点で、そのひとは自分で意識している特定の「党派」に属することがはっきりする。相手は無意識の内に自分の党派性を内面化している、だけど自分の発言はポジショントークではなくニュートラルだ、ではもちろん話が通らない(こう云う議論のしかたを可能にする「人文学にまつわる1000のひみつ」みたいなものがどうやら存在するようだけど、それはある党派のみによって独占的・排他的に伝承され、その党派外の人間にとっては開示が禁止されている一種の秘法めいたものらしいので、もちろんぼくにはわからないし、その価値や意義は党派外の人間には共有不可能だ)。 相手を特定の党派とみなし、当人への批判をその党派への批判をもって代える、と云うやりかたはずいぶん便利らしくて、多くのひとが試みる。ときにはそう云う手法じゃないと批判的な言説がなせないひともいるようで、すくなくとも当人が意識していない(「自称」していない)党派を共有されるべき当然の前提として創設してしまったりする。これはこれでその批判をおこなうご本人の所属している「党派」には喝采をもって受け入れられたりするので、なんだか意義のあることを云っているように本人には感じられるらしい(ぼくの見聞きする範囲では、かつて存在した「ニセ科学批判批判」の論者は、たいていこのへんに落ち着く。例外はSSFSさんで、このひとはひとりの論者として党派を意識せずに言説を発する清潔なスタンスを保っているけれど、単に「ニセ科学批判批判」をおこなう党派から見ても、党派内に抱え込みたくないと思われているだけなのかもしれない)。

とりあえず、なんかこの「自称中立」と云う用語を用いて他者を論難するにはずいぶんと難しい問題が残っているように思えるので、こう云う用語を用いて他者を批判しようとする場合にはかなりの慎重さが必要とされるんだろうなぁ、それがないと逆に自分の論者としての内情を晒してしまう結果になるもんなぁ、と思った、と云う話でした。