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Chromeplated Rat

街や音楽やその他のものについてのあれこれ。

用途とことば

goyo-gakushaさんの__pon_さんがうまく整理してくれたと云うエントリを読んだ。 ちなみにこの__pon_さんと云うのは、こちらのエントリで言及したエントリをお書きのp__o__nさんとおそらく同じかた(ハンドル名とアイコンイラストと発言内容の類似から判断)。なので、ぼくのいまの時点でのこのかたに対する印象は、ニセ科学疑似科学の害悪よりもその有効性を評価するスタンスであり、しかも自分の発言について対話することを好まない(自分の言説についてさしはさまれた疑義に対して言論で向き合おう、と云う姿勢をお持ちでない、要は云いっぱなしを好む)かた、と云うもの。なにしろご自分のハンドルネームのアンダースコアについて以外、なにも反応してくれなかったし。

先に書いておくと、原発は廃絶すべきだと思ってるけど、「廃絶しろ!」って声を上げていれば明日にはなくなってるようなものには思えないので、(うかつな事故が起きないように)時間をかけて慎重に廃炉に持っていくべき、みたいに考えている。短期的にはともかく長期的には弱者にしわ寄せがいかないような廃絶の仕方は考えられるはずだ、と思ってるし、でもそのためには原子力周辺の研究者が(適切な批判ではないへんなレッテルで)過剰に貶められるのはまずいよなぁ、みたいに考えてる(廃炉には彼らの力がいるんだから)。またそのへんのコストは、冷徹に計算されなきゃいけない、みたいにも思ってる。
漠然とだけど、そんなとこ。なので、脱原発の言説は充分な熟慮のもとに展開されてほしい、みたいに感じてる。

③編集作業の中で、政府東電と利害関係が認められないものについては別のカテゴライズをすることになった。

エア御用というラベルがつけられる。

でもって、その「エア御用」ってことばはどう云う意味なの、と云う話になる。でもその説明はない。
日曜のエントリにも書いたけれど、基本的には「エア御用」と云うのは、それが何を指すのか、と云う議論を迂回することを目的としてつくられた用語だと思っている。そちらで引いたsionsuzukazeさんのエントリから再度引用すれば、「答え在りき、証明不要(または不能)」の言説なのであって、まぁこれが便利、と云うのはぼくにもわかる。だれかのことを「エア御用」と呼んでおいて、「明らか」とか「自明としか云えない」とか書いておけばそれで済むわけだから。

そう云うわけで、「エア御用」と云うことばがどんな経緯で生まれてきたのか、と云う成立の過程を追ってもなお、それがどんな意味なのかは示せない。基本的にはそれを示してしまうと反論が可能になるので、きっちり定義するわけにはいかないわけだ。気軽につかえなくなるもんね。

個別の発言の「御用」評価は適不適や、ラベルやカテゴライズの方法など、各プロセスについては議論の余地があると思うんですよ。

ほんとに議論の余地があるなんて思ってるのかな。STSのアカデミシャンを含め、「エア御用」と云う用語を使いたがる論者が、そのことばの意味と適切な用法について議論している風景をまだ見たことがないのだけど、それはぼくの観察範囲が狭いから、だけなのか。まさかこんなのが定義だ、って話じゃないだろうね。こんなの自分の気に食わない相手を謗るためだけの羅列じゃん。って、批判と誹謗の区別がつかないだけなのかも知れないけど(善意だったら批判で悪意だったら誹謗、みたいな理解だったりして)。

ちなみに「『エア御用』がレッテルなら『ニセ科学』もレッテルじゃないか」みたいな発言も見かけたりする。この点については反論として、ここのサイドバーに常駐しているニセ科学批判まとめへのリンクをここにも張っておく。
そもそもが「ニセ科学」と云う用語は、その名称を充てられた言説や理論や商売の当事者が(そしてその信奉者が)不快に思うことを覚悟のうえで使用されてきた、価値判断を含む用語で。だからその用いかたについてはコミットする論者がその用語についての相応の見解を持ち、それを示すことが要求されてきた。もちろん細部においては論者間に考え方の相違はあるけれども、そのあたりは相互に相当あからさまに論じられてきた。もちろんニセ科学の問題は個別の事象について各論的に向き合う必要があるものだし、論者それぞれのスタンスも違うから、その意味では運用の仕方にばらつきが生じる場合はあるけど、根幹の部分には相応に相互チェックが働いている。運用そのものにも(mochimasaさんとmuimiさんの対話に関するtogetterへのリンクを張っておく)。
目的だけが共通する(そして手段を選ばない)ひとたちが便利に使いまわすための用語とは、同じではない。

「御用」評価が正しいという前提であれば、仮にある特定の政治的正義においては意味のないことだとしてもやるべきことだと思う。そもそも「御用学者」と言う概念だって、先人から伝えられ意味があるから残ってきたわけですし。

だって、御用学者、ってことばは意味がわかるし、不適切な使い方をされている場合には、それがだれからでも指摘されうることばだから。

で、「エア御用」に関してはむしろ「御用学者」と分ける必要性によって生み出されたものだから、「御用学者」を否定し得ないのと同じで「エア御用」も否定できないです。

要するに、御用学者って呼べるだけの状況証拠がそろっていない学者を「御用」と呼びたいがために生み出されたことば、ってわけでしょ?
だいたいことばを否定できないってどう云う意味なんだか。べつにことばを「否定している」わけじゃなくて、そのことばには誹謗以上の中身がないよ、そんなことばを使っていても(誹謗したい、と云う意図が示せる以外に)なんにも意味がないよ、と云う話なんだけどな。

ついでに云うと、「エア御用」って用語を使って言説をものすことに肯定的なSTSのアカデミシャン(とか「STSに関心のある社会学系研究者」)がいるみたいだけど、彼らがこのことばをちゃんと使えるようにリファインしてくれる、みたいなことは期待しないほうがいいと思うな。
いろいろ事情はあるのかも知れないけど、とりあえず表で発言しているのを見るかぎりにおいては、議論によってその種の果実を得ることにあまり関心がないひとたちみたいだから。むしろはしごをはずされないように注意したほうがいいんじゃないかな(なにか学術上の意図があって「保護」されているだけかもよ。「自然科学者」と「市民」のあいだに対立関係がないと困ってしまう分野なのかもしれないし)。