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街や音楽やその他のものについてのあれこれ。

「いい話」のマーケット・ストラテジー

なんとなくこっちこっちのエントリを書いたときに思ったことと似た感覚を、東京都知事への立候補で話題沸騰中の渡邉美樹氏のサイバーエージェントの藤田さんとお会いしましたと云うエントリを読んで得た。

ダークな噂はつきないとは云えまごうことなき成功者で、なのでまぁ次には人間的に尊敬されたくなる、と云うのはひとのこころの動きとしては自然なので理解できなくはない。経営とか自己実現を指南する著書を書いて成功者ワナビーからの敬意を勝ち取るだけじゃもちろん足りなくて、自分はアルバイトを搾取して蓄財しているだけの銭ゲバじゃない、人格的にも優れた徳の高い人間として見られたい、となると次には道徳的な言説も試みたくなる。で、じっさいの動機はさまざまにしろ、そう云う「『いいこと』が云いたい欲望」みたいなのに、ニセ科学的な道徳言説はなぜかつよくアピールする。

いや、ひょっとしてそれは逆なのかもしれなくて。そう云う言説を聞いて感動したい、「『いいこと』を聞きたい欲望」にあふれたひとたちがそれなりのマスで存在するので、そちらのマーケットにアプローチするためにニセ科学的な内容をアイテムとしてセレクトする、と云うことなのかもしれない。

進化論で面白い話があります。 長い歴史の中で、猿が人間になっていくなかで、例えば火を使うとか、石器を使うとか、そういったことが、伝聞して伝わるのではなく、同じ時期に世界同時多発的に起きることがあるようです。

どのへんが進化論なのかさっぱりわからないけれど、そんなことは云う側にも聞く側にもどうでもいいことなんだろう(内田麻理香さんあたりには「空気を読んで、やぼなツッコミはやめろ」とか云われそうだ)。前後を読むと「これからは起業家が政治に出ていく時代だ」と云うのを云いたいだけのようなので、ここでわざわざ百匹目の猿を持ち出さなきゃいけない意味上のつながりはまったくないのだけれど、たぶんそんなことは渡邉氏にも、氏の言葉のユーザ(クライアント?)にもあんまり関係ないのだろう。

セミナーを開催して演台から感動を振りまくことで食べているひとはけっこういるようだけど、そう云うひとたちが語ることにロジカルな筋が通っていることは(経験上)ほとんどない。大事なのは聴衆の押してほしがっている感動のツボ、みたいなところを正確に押して、感情失禁をもたらしたり「気づき」によってなにかしら上等な人間にでもなったような気分にさせることであって、対価はそう云う面での満足度に支払われる(中毒性もあるのか、固定客的にそう云うセミナーに金を払う向きもいるっぽい)。経営者が従業員に読ませたがる本として名前をよく見かける五日市剛氏の「ツキを呼ぶ魔法の言葉」と云うベストセラーらしいパンフレットに、じつは筋の通った内容がないのと、このへんはたぶん同じ理由で(諸事情があって、なんと通読したことがある)。

まぁでもこのへんのニーズを見抜いて、適切に与えてやることで相手をコントロール(「マネジメント」?)する、みたいなのも、経営手腕の一部には違いないんだろうな、みたいに思ったりもする。支払いが安くても労働条件が劣悪でも、「『いいこと』を云う」経営者に心酔させることができれば、従業員は満足して気分良く働いてくれる、みたいなこともあるんだろう。芦屋広太氏あたりの語る「ヒューマン・マネジメント」みたいなもんか。

で、ちょっと飛躍するんだけど、このあいだからいくらか思っていること。
たとえばそう云う、ニセ科学的な『いいこと』に対して高いニーズがある層と云うのが人口的にそこそこボリュームがあるとして。そうすると、ある種のニセ科学的言説はそれ単体ではビジネスとしてペイしなくても、最終的にそう云う層を抽出して囲い込むための手段としては使えるんじゃないかな、みたいにも最近思う。「水からの伝言」が単体で収益をあげられなくても、それを入り口に見込み客を囲い込めれば、そこは全体としてみればわりと船井幸雄系の商材に対するプライムなマーケットだ、みたいな戦略。
なんと云うか、「水からの伝言」を導入としたビジネススキーム、みたいなね。

そう考えると、よく云われる「トンデモは連鎖する」みたいな見方って、じつは逆なのかもしれない。つまるところ、トンデモのサプライヤーたちが親和性があって寄り集まる、と云うよりは、彼らのアプローチするマーケットセグメントが同じなので、ロイヤルカスタマー重視のCRM戦略を取ってシナジーやクロスセル・アップセルを狙っているだけ、みたいな。
こんなふうに考えるとニセ科学に、例えばMLMなんかがどうしてこんなにすんなりなじむのか、みたいな部分もすっきりと理解できるようにも思うんだけど、どうだろうね。