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街や音楽やその他のものについてのあれこれ。

リソースの配分

osakaecoさんのホメオパシーへの需要を「合法化」するためにと云うエントリを読んで、すこしだけ考えた。

植物人間として生きることは意味があるのだろうか。自分の生き甲斐を達成することと、残りの人生の生存期間のいずれを優先すべきだろうか。このようなことは、生存と生きることの価値との間でうまれる問題です。現実の医療現場がどうであれ、このような問題は、代替医療のほうが、ちゃんと向き合ってくれると多くのひとが感じているのではないでしょうか。

このことは、たぶんあるのだろう、と思う。逆に、相対的にこの部分を優先しない医療、と云うものが、多くの場合に代替医療を標榜するひとたちに藁人形として晒されたりもするような状況があるようにも感じる。

ギャンブルへの欲求が社会にあるにもかかわらず、それを非合法なもとして蓋をするとそれらは、地下にもぐって、ヤクザの資金源になります。それと同様、ホメオパシーに向う欲求に正規の医療がこたえないと、あるいは、こたえられないと思われていると、それらの欲求は地下にもぐり、由井寅子の資金源になります。

これを避ける方法は、ドラッカーにもとづけば、医療の側でちゃんとしたマーケティングをするです。もし、正規の医療機関でホメオパシーの需要者のもつ欲求にこたえうる活動をしている医療機関は積極的にその情報をつたえる。それができていない医療機関は「市場」をリサーチし、それらにこたえうる体制をととのえる。これらのことは、とても難しいことではありますが、そういう姿勢を正規の医療機関が示すだけで、状況はずいぶん変るようには思います。(すでに、そういう活動をしている医療機関があれば、情報をいただけるとうれしいです。)

このあたり、つまりはマーケティングの問題に関して云えば、それは医療だけではなくて、たとえばニセ科学の問題に関しては全般的にあてはまる。アカデミズムもマーケティングが足りないんじゃないか、みたいな話で、何年か前はぼくもけっこうそのへんを主張してた(結局のところそんな主張をしても、反応してくれるのはそのあたりのことを先刻ご承知のひとたちばかりだったのでやめてしまったけど)。

結局のところ、何度も書いてきたけれどこの根本にはリソース配分の問題が横たわる。マーケティングは収益と云う結果を目指して行われるものなので、本質的にそこに向かわない営為にはリソースが割かれる道理はない。もちろんそこをosakaecoさんがわかってないわけではなくて。

素人目にも、現在の医療制度では、これらのマーケティング活動を個々の医療機関がすることの障害があります。医療機関のマーケティング活動は医療行為とみなされていません。これらの活動を医療機関がおこなう場合、それらにかかる費用は診療報酬や看護報酬からのもちだしとなるのではないでしょうか。

実質的にこう云う(金銭的な面だけではない)もちだしによって医療がまかなわれている部分はけっこうあるのだろうけれど(そのへんは海堂尊がけっこうテーマにしてる)、でも医療に携わる人間がそこにそれほどのプライオリティを置くともちょっと思えない。

ついでに、助産婦協会のホメオパシーへの接近が問題にされていますが、逆に正規の医療機関が妊婦の自助グループを支援するといった活動をすれば、ホメオパシーへ流れる妊婦は減るようにおもうのですが、どうでしょうか。

これもたぶんリソース配分の問題だよなぁ。現実問題、医療の専門家が効果のない代替医療に対してアクションを起こすことは、ボランティアベースでしかなしえないのが現状なんだろうから。

そのへんはそのへんとして、「ホメオパシーの合法化」と云うのは、実現すれば想定される被害を減らすけっこういいアイディア、だと思う。レメディへの適切な薬価設定、ホメオパスへの通常医療従事者と同基準での職業上の倫理・責任の適用がなされれば、ぼく個人はホメオパシーが容認されてもかまわない、みたいには思っているので。

まぁそんなことは起きないだろう、とかたかをくくってるから、ホメオパシー業者はためらいなく陰謀論に基づく殉教者を気取っていられるんだろうけどね。