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街や音楽やその他のものについてのあれこれ。

理解を求める

サイエンス・ポータルに掲載された2010年6月23日 研究者に国民への説明責任義務明確化と云うニュースを読んだ。

川端達夫・科学技術政策担当相は22日の閣議後会見で、年間3,000万円以上の公的研究費を受ける研究者にアウトリーチ活動(国民との科学・技術対話) を義務づける方針を決定したことを明らかにした。

これ、ぼくたち研究者以外の人間にとっては基本的には望ましいこと、だと思う。瀬名秀明氏が科学の応援団になってくれというがと云うエントリで書いていることともつながってくるんだろうけれども、やっぱりできれば現場の研究者を発信源とする情報がぼくたちみたいな一般層に届けば、それ以上のことはない。ニセ科学の問題の根底に横たわる、科学の権威の空洞化(と、その背景になる「科学」のプレゼンスに対するリアリティの欠如)、みたいな事象はいくらかでも避けることができるようになるだろう。

とか云っても、現実の運用を考えると、まぁそう簡単でもないだろうな、と云うのもわかる。個人レベル・組織レベルでのリソース配分の問題もあるし、研究者だれしもアウトリーチ活動が得意、なんてこともないだろう。一般人にもそのひとの研究の価値が伝わる程度にわかりやすく、なおかつ正確に、なんて云うのはそうそうお手軽にできることでもない。そのあたりプロフェッショナルとして長年に渡る経験とノウハウがあるはずのマスメディアでさえどんなていたらくなのかは、多くのひとがご存知のとおりなのであって。

ずいぶん前、たぶんここを開設するよりも前に、kikulogのコメント欄で菊池誠に噛みついたことがある。科学が誤解されている、詐称されているって、そもそも科学の現場にいる人間がちゃんと科学を伝えてないじゃん、みたいに。
菊池誠は困惑していたけれどまぁそれはそうで、研究者はそう云うことをするのが本業ではないし、研究してるのに較べれば楽しくはないわけで。浮世離れした学問を専門にしながら(まぁ学際、ってつけてるけど)けっこう普通の、悪く云えば俗っぽい感覚をちゃんと持ち合わせている彼でさえそうなんだから、そう云うことがきわめつけにだめな研究者もいるだろうし、そうするとその種の得手不得手で研究費の配分が決まる、みたいなことにもなる。このことについてはじつはある程度はしかたがない、みたいな感覚もちょっとあるんだけど(そもそも世間ってそう云うところだしね)、ことがことだけにそれでは結果的に巨大な損失にもなりかねない。

じゃあどうするのか、だれかがそのへんを担えるのか、とか考えると、やっぱり科学コミュニケータみたいな職業についている方、と云うのになるのかなぁ、とかも思うんだけど、なんか諸般の事情でそれも絶対に適切、とは云えないのかもしれないみたい(と歯切れ悪く言葉を濁す)。「宇宙船ビーグル号の冒険」を読んだのはたぶんもう30年以上前なので記憶ももうおぼろげだけど、なんと云うか「一般人向け総合科学者」みたいなひとがいてくれればいいのになぁ、みたいに思ったりもする。