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街や音楽やその他のものについてのあれこれ。

再現と反復

音楽あれこれ

広瀬香美毎日新聞で連載している「大人の音楽の時間」が毎日,jpにあがっていて、第3回 あの歌の魅力の秘密をバラしちゃえ! カーペンターズ前編第4回 後編(新曲付き)を読んだ。
面白いなぁ。あと、職業音楽家ってのはすごいなぁ。

なんとなく書いておくべきかな、と思うので書くと、ぼくはべつだん広瀬さんのファンではなくて。声はすごいなぁ、とは思うけれど、なんと云うかとりたててこの世に存在してほしい種類の音楽家ではなかったり。まぁこれは個人的な嗜好の問題。
で、コラムの主題は作曲家としてのリチャード・カーペンター。海水魚メロディーとか音楽の誘拐犯とか飲茶曲とか、独創的な用語が多いのでわかりやすいんだかわかりづらいんだかちょっと混乱するけれど。

広瀬さんはAメロBメロサビメロと云った短いメロディーの固まりに着目して、リチャードの作曲技法について語る。

この曲の「メロディーの固まり」の数は、五つもあるのです。このように、リチャードの楽曲は、メロディーの固まりの数が通常より多く、それが彼の曲の最大の特徴となっています。
つまり、どういうことかと言いますと、「小さく、数多く、さまざまなキャラクターのメロディーを、上手につなぎ合わせて楽曲にしている」ということなのです。しかも、どのメロディーたちも、次々とテンポ良くおいしそうに登場する感じです。

これは云い換えると、反復の要素が少ない、と云うこと。
メロディの展開のなかで同じ音型が出てくることがあっても、それは全体の大きな流れのなかに組み込まれるものであって、そこにあるのは「反復」じゃない。むしろ「再現」。なので、それはその音型それだけでひとまとまりとなるのではなくて、曲構成の全体のなかで意味を持つので、そこだけを切り出して聴いてもあんまり意味を持たない(と云うか、そう云うかたちで意味を持たされてはいない)。ひっくり返すと広瀬さんの云うようにそこからは、偉大なる作曲家リチャードは、私たちに「イントロからエンディングまで、一気に聞いてください!」と、強く強く願いながら作曲しています。と云うようなニュアンスを読み取ることができる。

ヨーロッパの音楽の伝統にアフリカ由来の音楽の要素が流れ込んできて、いまのポピュラー音楽はその両方のある一定割合でのハイブリッドだ、みたいなことは以前も書いた。これはべつだんぼくの独創的な把握の仕方ではなくて、わりと一般的に共有されている理解だと思う。

で、アフリカ由来の重要な音楽の要素のひとつに、反復、と云うのがある。繰り返し。
同じリズムと、同じ音型のメロディを、短い単位で繰り返す。延々と。そこで重要なのは展開ではなくて、律動であり、ビートであって。このへん(J-Pop的な意味での)一般的なポピュラー音楽より、アメリカの黒人音楽なんかを連想するとイメージしてもらいやすい、みたいにも思う。
反復のサイクルはある程度長かったり短かったりバリエーションはあるけれど、ここでは「ゲロッパ!」でおなじみのJBの"Sex Machine"なんかを思い浮かべてもらうとわかりやすいかも。この曲なんか、基本的には1小節単位でのおなじ音型の反復で成り立ってる。

逆にヨーロッパ由来のメロディ要素は、その全体でひとつの音型、と云うニュアンスの構成、と捉えられる場合が多いと思う。1番、2番と云った単位での、ひとかたまり。構成の全体のなかでも、同じ音型、または変奏的な意味でのバリエーションが複数回登場することは一般的にあるけれど、それは聞き手側の、なんと云うかメロディの連想、とも云うべき聴き方の機能に訴えるために採用される技法で、それは律動を生み出すための反復、ではない。

キューバ音楽(ソンとか)なんかだと、このへん曲そのものが2部構成になっていたりする。前半はひとかたまりのメロディで1番と2番をうたって、曲の後半は短いメロディで律動を強調したコール・アンド・レスポンス(キューバの用語ではコロ・カンタ)に突入する、みたいなパターンが、ひとつの典型として成立していたり。

 ですから私は、リチャードは、クラシック音楽の勉強をしているにちがいないと思います。彼のメロディーの端々にはクラシックの技法がチラチラと見え隠れしています。彼は、その音楽技法を十分に使いこなしながら、さまざまな難所を切り抜け、作曲していっているのです。

クラシックを包含するヨーロッパの音楽的伝統とその変容、大衆音楽へのブレイクダウン、みたいなものについては、こちらでレビューした森正人さんの大衆音楽史に詳述されているけれど。つまるところ、リチャード・カーペンターと云う作曲家は、その流れを汲んでいる、と云うことだと思う。

このことを広瀬さんは、実際に作曲する、と云う見地と角度からだけ、語ることができてしまっている。(ぼくみたいな素人が口にすると不遜に聞こえるかもしれないけど)プロと云うものの現場の知性と云うのはすごいものであるなぁ。あたりまえなのかもしれないけどね。