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街や音楽やその他のものについてのあれこれ。

まぎらわしい

「うちへ帰ろう!」と云うブログ(お使いのハンドルネームが見当たらない)の、水の結晶と波動と云うエントリを読んだ。

一方、スピリチュアルな世界でいわれる波動の存在や力を全く認めないとすると、それは逆に現代物質科学万能思想に凝り固まった人間のあさはかさに陥っているようにも思えます。

全く認めないとか云う話じゃなくて、スピリチュアルな世界でいわれる波動が、自然科学で用いられる用語としての「波動」と別のものだ、と云っているだけなのだと思うのだけれど。
波動、と云うのは一般的な用語なので、スピリチュアルな世界でいわれる波動が物理学の用語としての波動とは別のものだ、と云うことをはっきり示していれば、それが科学の観点から認められるかどうか、と云う議論にはならない(だれもしない)。

ただそのかわり、スピリチュアルな世界でいわれる波動を科学的な実験によって裏付けたり、量子力学を援用したりするような言説になんの意味もないことがはっきりするわけだけど。別のものだから、当然ですね。困ることはないはず。自然科学的な根拠とは関係のないところで、その意義と概念としての有用性を示していけばいい。
どちらかと云うと、スピリチュアルな世界でいわれる波動を指し示すのに、波動、と云う言葉を使うのをやめれば、話はもっとわかりやすくなると思うんだけどな。まぎらわしいから、科学者に論理的にはっきりと否定されたりするようなことも起きるわけで(このふたつを混同されると、科学者側は迷惑をこうむるわけだから)。

現代科学の未知なる領域であるがゆえに、玉石混交、魑魅魍魎が跋扈する世界でもあるとは思いますが、そろそろ時代の進化とともに次のステージにすすむべき時が近づいていると思いたいですね。

次のステージにすすむべきなのがなんなのか主語がないので判然としないけれど、スピリチュアルな世界次のステージにすすむと云うのなら、科学とは関係なく進んでいけばいいことだ、と思う。