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Chromeplated Rat

街や音楽やその他のものについてのあれこれ。

クリシェ

水伝は70%と云うエントリを読んだ(doramaoさんって、どらねこさんですよねぇ)。

いやまぁとにかく「水からの伝言」関連言説では人体の水分含有率は70%で、と云うのはこちらでも書いたけれども王道で。doramaoさんのエントリでは30サンプルについてそれぞれの主張の中にある水分組成割合を調査されている。実際の水分組成割合についても記載があって、これはおおむねこちらのエントリのコメント欄でちがやまるさんが教えてくださったのとおんなじ感じ。
もうなんか、クリシェなんだよなぁ、と思う。

ここでニセ科学の問題についてなにかしら述べるときに、中心となる角度はその蔓延、とりわけそれが受容されるフェイズだったりしたのだけれど(なので、批判的なことを書くときはおおむねそれを受容し、再度広めようとする言説に向けてきたのだけれど)。で、ぼくはそこに、クリシェを組み上げるだけで意義のあるロジックが構成できると考えるお手軽な姿勢を見ていて、その背景となる「わかりやすさ志向」みたいなものに危機感を覚えていたのだった(で、そう云うエントリに関してはだいたい紋切型タグを貼ったりしている。まぁ、タグ付けはよく怠けてますが)。

「人体の70%は水だから体内を綺麗な水の結晶でいっぱいにしよう」みたいな言説は日々生産されている(直近1週間でこれくらい。本日ベースでみるとだいたい1日に2件強。上掲のdoramaoさんのエントリも混じってるけど)。だからそれ凍死するだろ、ってのはこれまでもくどくどくどくど書いてきたけれど、こう云うクリシェを聞きかじりでそのままネットに放流しちゃう、ってのはやっぱり、言葉と云うものを徹底して大事にしていない行為だよなぁ、とか思う。

で、こう云う言説の終着点は、言葉からそれそのものの持つ「伝える」機能を切り離して呪文化してしまう、と云う発想になる。こっちとかこっちに見られるように。結局、江本勝の言説は、言葉によってひとからひとへなにかを伝える、と云うことの否定として受容される(このへんこちらで書いたようなこと)。
何度も書いているけれど、ぼくはそんな世間に暮らしたくない。感謝の言葉が感謝の意味を持つ、そんな世間で生きていきたい。
で、こう云うエントリを書くことにどんな意味があるか、と云うと。
日夜生産される70%言説の合間に、検索結果として紛れ込ませることができる、と云うだけでも、意味はあるのじゃないかなぁ、みたいに思っている。

おまけ、と云うかお約束なので貼る。

紋切型辞典 (平凡社ライブラリー (268))

紋切型辞典 (平凡社ライブラリー (268))