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街や音楽やその他のものについてのあれこれ。

軽妙さと本質 (「重力ピエロ」伊坂 幸太郎)

ひと/本

うちの近所で撮影されたりしていた映画が仙台では先行上映される。

重力ピエロ (新潮文庫)

重力ピエロ (新潮文庫)

  • 作者: 伊坂 幸太郎
  • 出版社/メーカー: 新潮社
  • 発売日: 2006/06
  • メディア: 文庫
 

予習、と云うわけではないけれど、たぶん観に行くと思うので、まずは原作を読んでみた。

伊坂幸太郎の著書を読むのは2冊目で、最初に読んだ1冊はなんだかぴんと来なかった(ので書名は書かない)。ある日曜日に、いつもの横丁を抜けようと思ったら撮影中で通れなかった、と云う経験がなかったら、この本も読まなかったかもしれない。
で、そこそこいいペースで読み終えた。結構厚い本なのに(そして時間が取れない状況はあいかわらずなのに)平日3日くらい。軽妙な会話、と云うのを中心に話を進める構成の、リーダビリティの高さゆえ、だろうか。

いくつかあるテーマは、どれも重い。
でもまるでそのテーマにリンクしていないように、登場人物のフットワークは軽い。一人称の主人公をはじめとして登場人物はどこか奇妙ではあるけれども、その奇妙さのゆえに登場人物相互のコミュニケーションが滞るような事態は生じない。つるつると対話は進み、物語も進む。
異物感を欠いた違和感、不自然さのない不自然さ。どことなく、舞台となるこの街に似つかわしいような。
小説に描かれる「軽妙な会話」と云うのはけして嫌いではなくて。ただ、軽妙さは、その人物のバックグラウンドと連携させることで面白みを深める、と云うこともあるような気がする。

例えば、ぼくの愛してやまない森雅裕さよならは2Bの鉛筆(相変わらず入手不能なんだなぁ。当たり前か)に登場するヒロインたち。生意気で突っ張らかった小娘たちの、古風な言葉の背後にある幼い矜持と純情さが、ちょっと安っぽいけどたまらない愛しさをぼくに抱かせる。
そう云うかたちでの登場人物と会話の展開の連結は、たぶんここにはない。そして、へんな話だけど、その部分の欠如が裏返しのリアリティとなって、テーマそのものに本質的に関わってくるのかな、みたいにも感じる。いやまさに、タイトルはその暗示、なんだけど。

謎解きに興味がないので基本的にミステリーは好んで読まないぼくではあるのだが(そのわりにレビューを書いてるかも)、謎そのものはわりと早いうちに真相を予想できた。それでも興をそがれずに読み通すことができたのは、やっぱりその、軽妙さ、と云うものに追う部分も大きいのだろうな、とも思う(主人公の父親の台詞がひとつツボに入ってしまって、笑い転げていたらつれあいに不気味がられてしまった)。

ところで、映画版は映画版で、別の意味合いでぼくのリアリティにつながることになる。 どんなことを感じるのだろうなぁ。
西新近くに住んでいたときにロッカーズを見たときのような感慨を、今回も覚えることになるんだろうか。