Chromeplated Rat

街や音楽やその他のものについてのあれこれ。

Incomplete

Wired Newsの世界一に輝く、永田力氏のカスタムバイク:1億円の美術品と云う記事を読んだ。
格好良いかっこいい。たまらない。

まぁこれだけ痺れるのは、ぼくがこう云う種類のオートバイを好むタイプのバイク乗りだ、と云うこともあるのは確かなんだけど、それはそれとして。

オートバイのデザインは、実際はそのオートバイ単体では完成しない。その機能が、オートバイ単体で完結しないのと同様に。そこには必ず、それに乗る人間、と云う要素が加わる。そんなものスポーツカーでも同じじゃないか、みたいに思うかもしれないけど、なんと云うか比率がまるで違うわけで。完成したデザインのスポーツカーにおいて乗る人間は単なる付属品だけど、オートバイは半分くらいは「人間のかたち」で占められる。

で、永田氏のデザインは、そこにまたがって疾走するひとの姿を同時にイメージさせる。ぼくは(ぼくだけじゃないと思うけれど)そのデザインから、そこにまたがったときの姿勢や視界までをイメージする。ぼくとオートバイの接点となるシート、ステップ、ハンドル。その感触。眼下のアスファルト、後輪に体重を乗せたときの感覚。
低い位置から上目遣いに周囲を見やって、周囲の車の動きを計算して、その隙間に切り込む。後輪のはじっこに体重を乗せて、前輪をいくらか大回りさせながらカーブをクリアする。——妄想が暴走。それも、描かれたデザインから。
自分を、その姿をしたオートバイの主要部品として組み込む。組み込まれたことで、はじめてオートバイはその機能を果たすことが可能になる。

実際のところは、工業製品としてそんな乗り方に耐えるのかどうかはわからない。完全ハンドメイドのバイクと云うとアメリカンチョッパーでも有名なOrange County Choppersバイクを連想するけれど、そのプレミアム性の代償がめんたまの飛び出るような価格と1日40kmのツーリングにも耐えられないような性能(先に音を上げるのがバイクか乗っている人間かはわからないけど)なのは容易に想像がつく。
でもまぁ、わくわくは無料なのだった。