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街や音楽やその他のものについてのあれこれ。

リテラシー

hietaroさんのSSFS大先生の人気に嫉妬と云うエントリを読んだ。Yahoo!掲示板のssfs2007氏の書き込み、科学技術リテラシー報告書の内容へのレスポンスとして書かれたものなのだけれど、本題とは違う部分にちょいと横レスっぽく。

 なんでわざわざ「ニセ科学関連のリテラシー」なんてものを特別にやる必要があるという結論になるんだ。全く読めてない。
 「科学技術リテラシー」とやらが向上すれば「ニセ科学にだまされたりすること」がなくなる(それこそが「リテラシー」だ)ってだけの話なんだから、わざわざニセ科学の実例を個別に挙げる必要なんてないだろう(挙げてもいいけど)。

このhietaroさんの見解にぼくは強く同意する。

なんと云うか、ぼくはリテラシーと云う言葉は自分の用語としてはあまり好んで用いないのだけれど(ぼくの書き方ではなんか好ましからざる誤解を生みそうなので)、同様の内容をけっこうコモンセンスの問題として語っていると思う。要するに、判じ物みたいにどれはニセ科学でどれは違う、とか分別するとか、ニセ科学リストを頭の中に叩き込むとか、根本的にそう云う話ではないわけで。
ニセ科学ってのは科学ではないのに科学を装うもので、だとすれば科学ってのがどんなものなんだか分かっていれば(科学についてのリテラシーを持っていれば)ニセ科学は判別できる、はず。で、この「科学が分かる」と云うのは別段専門家である必要はなくて、おおよそ実用に耐える精度での理解はコモンセンスでできる(と云うかそれくらいまではコモンセンスの範疇と捉えられるべき)と思っている。

ぼくごときの理解水準で云えた筋合いじゃないのは承知しているけど、ツールとしての科学の使い方と云うか、科学的な考え方のおおざっぱな理解なんて云うのは、日常をまかなえる水準に限って云えばそうは難しくないのではないか、とか思う。そりゃ多少なりとも頭は使うことになるだろうけれど、その程度も使うことを嫌がるんだったら、もうそれは「分かりやすいもの」に囲まれてだまされるのを待っているのと変わらない。
いやもちろん、ツールの使い方が分かっていれば即座に見抜ける、と云う話でもなくて、にわかには判じがたいものも多いのだけれど、そう云うものをとりあえずまず「信じて」しまって、結果的に笑えない状況になることは多くの場合避けられるんじゃないかな。

少し前にDocSeriさんの覚えておきたい、ニセ科学リストと云うエントリが大反響になったときも、なんとなくそのあたりにひっかかりを感じて素直に歓迎はできなかった。もちろんDocSeriさんがそのあたりについてお考えではない、と云うことはまったくなくて、追記できっちり内容に疑念を感じ、自身で調べるぐらいの方が健全と言えるとお書きになっているのだけれど(だからひっかかりと云うのはお書きになったDocSeriさんに対してではなくて、反応した方々のスタンスの方にだったりしたのだけれど)。
リテラシーとかコモンセンスとかいろいろ云ってはいるけれど、「ちょっと考える」と云う以上のものではないと思うのだ(だいたいそれ以上のことはぼく自身できる気がしないし、できもしないことを訴えかけるつもりもない)。