Chromeplated Rat

街や音楽やその他のものについてのあれこれ。

「技術的観点」

昨日の日付のエントリで言及させていただいたtiharaさんから、「大半の疑似科学は技術である」の続き。と云うトラックバックをいただいた。

はっきりとは書かなかったが「疑似科学は技術的観点からも話にならない」という意図で書いた。疑似科学は科学的に批判をしようとするとおそろしく手間のかかる問題だが、技術的観点から批判をしようとすれば「使えない」の一言で済む問題だと思っている。

あぁ、まぁ確かに。

ただ、技術的観点からみてどうして「使えない」のかをもう少しだけ具体的に書いていただければ、きっと誤読をせずに済んだんじゃないかな、とか思う。と云うかそこを書いてほしい。読みたい。あんまりいままでになかった視点なんで。

ほしくなるのは、実証実験である。それまでの学説の支えはなくても構わない(もちろん学説に支えられていた方が頼もしい)。実証実験も統計学による支えではあるが、統計学が理解できていなくても結果だけ示されれば素人でも実効性の有無は分かる。

でも、例えば現在使えている技術から「次の技術」を生み出そうとすれば、実証実験の結果よりも学説のほうが使えたりするんじゃないのかな。
いや「どちらが」って問題じゃないのか。でもそう云った意味で、

それとも、科学者は世間や国からの「使えるの?」という攻撃に今よりも強くさらされたいのだろうか。

「科学的観点」における価値は「技術的観点」においても意義があるものである、ように思うんだけど、その辺どうなんだろう。