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街や音楽やその他のものについてのあれこれ。

風景を切り取る (「もの食う人びと」辺見 庸)

ひと/本

何度読み返したかわからない。ぼくにとってはちょっと珍しい、そう云う本。

もの食う人びと (角川文庫)

もの食う人びと (角川文庫)

  • 作者: 辺見 庸
  • 出版社/メーカー: 角川書店
  • 発売日: 1997/06
  • メディア: 文庫
 

いや、それにはからくりもあって。仕事で外出するときに持っていく鞄に入りっぱなしなので、ひとりで昼食なんて云うときにいつも読み返す。毎日何度か繰り返している「喰う」と云う行為を、ちょっと嫌な感じで客観視できる。我ながら悪趣味。

世界に満ちた、風景。どんなに美しくても、醜くても、意味付け以前に単なる断片としてごろりと存在する風景。
ひとが善悪を論じようが、倫理を論じようが、いずれにせよそこにただ在ってひとをとりかこむもの。

食、と云う人間の基本を通じて、辺見庸は風景と人間の関わり合いを見ようとする。風景のなかに囲い込まれた人間の営みを、そこに生じる相互作用を。喰うことが風景のなかにひとを定置し、どうしようもなく風景のなかで漂うものとしてのひとの姿を描き出す。

風景に蹂躙される「フィクション」、そして「ものがたり」。そして、さらにそこには辺見庸自身の欺瞞もある。そのようなものを描き出しながらも、それを読み手に伝えるためにやはり「ものがたり」を用いること。ここには分かりやすい、書き手自身が自覚せずにおれない矛盾がある(この種のことを自覚することから自分を免責する能力を持った書き手もいるけれど、辺見庸はそんなことができるほど鈍重ではもちろんない)。そのことがいわば没テイク集とも云うべき、あっけらかんと暴虐な風景の姿を描写した「反逆する風景」を彼に書かせることになったのだと思うのだけれど、それはまぁ別の話。

風景がひとになすこと。そのなかで、ひとがひとになすこと。そのことが見事に切り取られたこの本を読みながら、ぼくは来週も何度か、ひとりの貧しい昼食を摂るのだと思う。