相対主義
Schwaetzerさんの今日付けのエントリを読んで、少し悩んだ。
悪いけど、あんなので傷つく神経の持ち主のほうがやわにもすぎる。
こんなことが云えるようなノリでエントリを書けたら爽快かもなぁ、でもどんなふうに叩かれるんだろうなぁ(ちょっと楽しみ)、とか思ったのはまぁどうでもいいとして。
想像力の欠如でも科学的思考力の不足でもなく、頼るべきフィクションをいかに表現するか、あるいは表現されたフィクションのどれに飛びつくかという問題のはずで、であるならばむしろ、フィクションとの付き合い方やフィクションのネタのほうを考えた方が、たぶん、近道なのだろう。
お書きのことは結構同意できるような気も、筋が通っているような気もするんだけれど、どこかひっかかる。どこが引っかかるんだろう。
結局、フィクション、と云う言葉の捉え方なんだろうな、と思った。どんな意味でこの言葉を使っているのか。
Schwaetzerさんにとって、フィクションとはなんだろう。
そして、フィクションでないものとはなんなんだろう。
フィクションは必要なものかもしれない。
でも、フィクションでないもののほうはどうなんだろう。
多分キーワードは、「極端な相対主義」。