Chromeplated Rat

街や音楽やその他のものについてのあれこれ。

確かな根拠を求めること

こちらのエントリで少し言及したけれど、一部政治系の話題を扱っているブログでニセ科学の肯定・否定にまつわるどたばたが年末年始を通じてあった様子で。当該エントリのコメント欄に当事者であるたんぽぽさんがお越しになっているけれど、なんと云うか正直関係者に無駄に声がでかいタイプが多そうな気がして関わるのを面倒に感じていたりもした。
ただ、この騒動の根底に流れるものはぼくの問題意識の中心的な部分とも関わるものではある。この辺りに関連して、sumita-mさんの陰謀理論批判(メモ)と云うエントリを読んですこし考えたこと。

疑似科学」は信じていなくとも、能天気な科学万能論を唱えてしまう人はけっこういるのであり、そういうのを見ると、それこそ〈非科学〉的だろと思ってしまう。

ぼくのものを含めた一連の継続的なニセ科学批判の根底に科学万能主義的な発想はいっさいない、ということはここでもしつこく何度も何度も何度も何度も書いて来た。

現在の科学を超えた「万能の科学」があり、それがなぜか自分(たち)の考え方の正しさを(必ず)証明してくれる(はずだ)、と云う考え方は、自分たちは正しい(はずだ)から(絶対に)同じ方向を向いて(足並みを乱さずに)進んでいくべきだ、と云う発想ととても相性がいいのではないか、なんて思ったりする。

現在の科学に準拠して考えよう、と云う発想を彼らが「科学万能主義」として批判するのも、その根っ子にあるのは「万能であるはずの科学は正しいはずの自分たちの味方であるはずで、自分たちに味方しない科学は間違っていて(硬直化していて)(権威のなかで腐敗していて)、それに一定の信頼を置く人間は僭主にひざまずくが如き誤りを犯している『人間力』を欠いた連中なのだ」みたいな考え方がある、のかなぁ。

声のでかいひとたちが来ると困るので、ここはこの辺で留めておくけど(本当は別に困らないけど。面倒だ、ってだけ)。