Chromeplated Rat

街や音楽やその他のものについてのあれこれ。

危険?

n_ohsakiさんのどちらが危険か?と云うエントリを読んだ。この方、「ゲーム機器の加熱による化学物質の飛散がゲーム脳を招く」と云う新説を唱えて、Interdisciplinaryの新説?と云うエントリのコメント欄で議論を繰り広げられていた(と云うのかな、あれは)方だ。

えぇと、Interdisciplinaryでの論点は基本的に「関係していそうだな、と云う気がすることをそのまま結びつけて考えるのはどうか」と云う点だったようで。これってフレイザー卿の云う「類似の呪術」に類するのかな(そんなものでもないような気もするけど)。

客観的事実や論拠なしにあたかも事実のように語ることは、いけないことらしい。

客観的事実や論拠なしにあたかも事実のように語ると云う書き方をするとなにやら難しそうに見えるけれど、ひらたく云えばこれは「嘘をつく」とか「でまかせを云う」と云うことだ。嘘をつくのがいけないことなのかどうか、と云うとなにやらいろいろ難しそうな気もするけど、少なくともぼくの通っていた幼稚園で、ぼくの所属していたはな組の担任だったわかこ先生は、ぼくに「嘘をつくのはいけないことです」と教えてくれた。それ以降数十年、ぼくにとって嘘をつくのは良心の痛む行為だ。方便だのなんだのの議論の前に、社会は「嘘をつくのはいけない」と云うことを原則として成り立っているはずだ、と幼稚園を卒業して随分経ったいまでも思っている。個人の自由や感性(笑)だの以前の問題として。

水からの伝言ゲーム脳マイナスイオン、果ては、化学物質過敏症まで、科学的な根拠が得られていないから、これらを断言的に表現することはダメだと散々非難されてきた。

科学的に根拠がないものは、言ってはいけないらしい。

ニセ科学的言説を行う方に典型的に見られる行動様式として、「相手を科学万能主義者と見なす」というのがあるけれど、まぁこの方の論理もその枠内に入ると云っていいと思う。科学的に根拠がないものは、言ってはいけないなんて誰も云わない。科学的に根拠がないものを「科学的根拠があるように云う」のが問題だと云っているわけで。
と云うかこの方、「批判されていることには反応するけど批判の内容は読んでないんじゃないか」と懸念されていたわけだけれど、そのとおりなのかも。

そもそも水からの伝言や、マイナスイオンゲーム脳化学物質過敏症を信じて、害になることがあるのか?むしろ美容や健康に良いのではないのか?自律神経失調症になることもないし、腱鞘炎になることもない、頭がぼーっとすることもない。良いことずくめだ。

ニセ科学の問題点についてここで挙げるのはお読みの方にもご退屈だろうから、とりあえずapjさんのマスターピースにリンクすることでお茶を濁す。ところで化学物質過敏症を信じる、って言い回しの意味が分からない。症状は症状で、それは現に存在することなので、信じるも何もあったもんじゃないと思うけれど。

むしろ正当とされる科学を信じたほうが危険一杯だろう。

科学に興味を持ったり科学者にあこがれてその道に進むと、今では10人に一人が行方不明になるらしい。極道の世界より過酷じゃないのか?

なんだかこれだけでも相当の論理の飛躍があるけれど(そもそも科学を信じるのと科学に憧れるのは全然水準の違う話だし)、ここからが凄い。極道の世界より過酷 →「科学は極道」と云うふうに論理がジャンプするのだ。この論理はフレイザー卿でも説明できないんじゃないか。

子供向けの科学番組も50円強請って来い!と言うのと等価である。キャスターたちがそういう覚悟で科学の面白さを喧伝しているとは思えないが、結果的にそうなるのである。

等価じゃありません。科学番組を見たせいで極道になることはありません(極道が子供の頃に科学番組を見ていた可能性はありますが、多分直接関係はないと思います)。

とまぁ、ここまであげつらって来たけれど、これで結びを「ゲーム脳なんて言葉を安直に口にしているとこんなふうになってしまいます」みたいにしたら多分n_ohsakiさんは不愉快に思われるだろう。ご自分の言説がそう云う種類のものである、と云うことにお気付きいただけたら、と思う。