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街や音楽やその他のものについてのあれこれ。

こわいかんがえになってしまった

先週末の仙台は青葉祭りだった。伝統的な仙台の祭りとしては七夕に次ぐ規模。宝文堂の破綻によってもはや仙台地場書店の最後の砦と云ってもいい金港堂の本店でつらつらと本を探していたら、一番町の表通りを雀踊りのお囃子が大音量で通過して行った。

青葉祭りは武振彦命a.k.a.貞山公a.k.a.伊達藤次郎政宗を祀る青葉神社のお祭りだ。とは云え青葉神社がいまの場所に遷座したのは明治になってからだから、そこそこ古いとはいえ100年ちょっとの歴史しかない、と云うことになる。それでも地元の祭りだから、よさこいのような田舎臭さは少なくて、わざわざ見に繰り出すほどではなくても嫌悪感は多少減る。

それにしても、藩の開祖が今に至るまでこれほど尊敬を集め、愛されている100万都市もほかにないのじゃないだろうか。青葉祭りでも武者行列には当主の34代泰宗さんがちゃんと参加する。こう云うのは個人的には気持ちいいことだと感じるんだけど(おいら昔から残っているものはなんでも保存しておきたいくち)、市民挙げてそれが当然だと思っているのも考えて見ると不思議だ。

とは云え政宗さんがこの街に何をもたらしたか、を考えると、無理もない部分もあるにはある。なにしろ奥州を米所にして、その米を江戸に輸出するっていうビジネスモデルを成立させて、伊達藩を実質的にトップクラスの富藩にしたのは政宗さんであって。抜群の経営能力に家柄と教養とぶっとんだファッションセンスとくればまぁ、おらが殿様としては満点ではあるんだろうなぁ。

で、タイトルに挙げた「こわいかんがえ」ってのが何かと云うと、基本的に仙台の街の地域としてのビジネスモデルは、当時からなにも変わっとらんのではないだろうか、と云うこと。大量の米を江戸に輸出していたってことは、その分大量のものを江戸から輸入していたってことで、てことは文物は江戸から来るもの、と云うスキームは400年前からの伝統なんではないか。400年同じことをしてるのではないか。

ひょっとすると、これからの時代の地域レントを探そうにも、殿様に云われないとこの街の人間はなにもできない、とか云うのがあるのではないか。ないと信じたいけど。

mixi宮城県コミュニティで、知事が口に出した「富県宮城」とか云うなんだかかっこわるいコンセプトについてのトピックが立っていて(http://mixi.jp/view_bbs.pl?id=18592860&comment_count=49&comm_id=287)、そこでの議論があんまりにもあんまりなのを見てちょっと悲観的になってしまった。