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街や音楽やその他のものについてのあれこれ。

現状認識と誠実さ

アロマテラピーに使用するハーブのショップを経営しておられるjgnhm075さんの理論武装と云うエントリを読んで、ちょっと感動した。いや、この方にとっては当たり前のこと、なのかもしれないけれど(だからこう云う取り上げ方は、少し失礼なのかもしれないけど)。

誤解されそうなことをあえて書くと、例えばぼくは代替医療や民間療法と云うようなものを頭から否定はしない。医療に求められるものは現在の自然科学の文脈上にあるものだけではないし、経験的に積み上げられて来た知恵には価値のあるものがたくさん含まれている、と思う。osakaecoさんmedtoolzさんのエントリからも、その辺りは学ばせていただいた。

ただ、現実として医療は合理的(≒科学的)に行われる必要がある。そうでないと、結果に対して責任を負うことが(あるいは免責されることが)できないからで。多くの代替医療はその部分を曖昧にしたままで、おそらく曖昧にすることによって消極的に免責を主張しているように見える。
責任を持って代替医療行為を行うためには、おそらくは自然科学的アプローチの側面を無視する訳にはいかないのだ。現実として。

人間の五感に働きかけることが、その人間になんらかの効果を及ぼすのは当然で。病は気から、と云うのも嘘ではないし、嗅覚に働きかけるアロマテラピーがいろいろな生理的効果を実現するのも少しも不思議ではない。それは経験的な知恵に基づくものだ。でも、そこにのみ棹さすことには、ニセ科学ホメオパシーが陥っているものと同じ陥穽が待ち構えている。

私は、アロマテラピーや薬草の世界は、そうではないと思っているし、信じたいと思っている。でも、この世界を知らないほとんどの化学者や医師の目から見れば、それは「エセ科学」の一つと見られることの方が、圧倒的に普通なのかもしれないとも思う。

現実は、このように冷ややかである。
だからこそ、事故のないように、私たちは理知的に動く必要がある。
その為に、学ばなければならない事は多い。人に影響のあるものだからこそ、正しく知らなければ使えない。

この方のエントリを読んで、その姿勢の厳しさに少し驚いた。で、少し調べてみて、アロマテラピーがその化学的メカニズムを非常に重んじ、探求を続けていることを知った。けして療養されるものが「信じ、受け入れることで作用する」ようなテーゼのもとに運用されているものではないことを。

そこにはもちろん、現在の自然科学で証明されていない「知恵」が内包されているだろう。でもそれは自然科学の欠陥ではないのだ。自然科学にも伝統的な知恵にも、未だ到達できていない領域はある。そのことを認め、互いにそれぞれの価値を理解し、目的に向けて常にそこを補うべくアプローチを続けること。

私たちは、この世界が、治療の一つの選択の形として取り入れられる日が来る事をあきらめたわけではないけれど、でも、時間はかかるだろう、と身にしみて感じている。
私たちの時間だけでは、もしかしたら足りないほど長くかかることを、覚悟しなければいけないのかもしれない。

でもその試みは、そしてその背景にある誠実さは、とても価値のあるものだと思う。
現在の自然科学も、多くのひとたちの積み重ねて来たもののうえに成立しているのだから。