Chromeplated Rat

街や音楽やその他のものについてのあれこれ。

計算可能性

事実我々は資本主義社会に住んでいて、資本主義に基づくグローバリズムの潮流の中で暮らしている。好むと好まざるとに関わらず、すべてを一義的に判断する基準は、金だ。

稲葉振一郎先生のブログで少しお見かけしたことのあるfuku33さんが、「感情商品・正義商品の研究へ」」というエントリを書かれていた。

別にフェアトレードと銘打ったコーヒーを買うときに先進国の消費者は「本当にコーヒーが目当て」なわけではない。途上国の農民の生活を支援するつもりでプレミア価格分、寄付というか支援というか、まあ贈与をしているつもりであるように普通は考えられるが、僕はこれは「正義達成の充足感」という商品を購入しているのであり、価格のプレミアはこのいわば「感情商品」の正当な対価だと思う。

実際のところ、善意を金額に換算してしまえばそれは計算しやすいし、満たしやすい。異論はないのだけど。

ちょっとどこかに割り切れなさが残る。この割り切れなさについては、少し考えてみることにする。