Chromeplated Rat

街や音楽やその他のものについてのあれこれ。

担うべきは誰か

菊池教授と弾さんの議論が、残念ながら何の収穫もないまま終わってしまった。

実際のところぼくは菊池教授の支持者ではあるけれども、ニセ科学の問題についての光の当て方はだいぶ違う(根本にある問題意識は同じような場所から出発しているかもしれないけれど)。なぜか弾さんは途中から韜晦してしまっているけれど、出発点はもともと弾さんのスタンスに近い。ぼくが完全に誤読している可能性はあるけれど。

「なぜそうなるのか」を考える余裕は、いつもあるとは限らないのです。ましてや科学者たちの伝言より「水からの伝言」に耳を傾ける人々はそうでしょう。もし科学者たちが、「水からの伝言」ではなく自らの伝言を人々に伝えたいと欲するのであれば、やはり伝言のやりかたにはもう一工夫必要なのではないしょうか。
404 Blog Not Found:どうせ信用するならエセでない科学を

この点には同意するし、実際に同様の主張をkikulog上でしてきた。品のない云い方をすれば、税金で喰ってるんだから何をしているのかちゃんとプレゼンテーションをする義務があるんじゃない? と云うようなことだ。
でも、このことを実際に動いている菊池教授や田崎教授に云うのは、どう控えめに見ても不毛だ。科学者の倫理として彼らにニセ科学と戦う責務はあるのだろうし、実際のところそう感じているから動いているのだけれど、その活動分の報酬を彼らは税金から余分に受け取っている訳ではない。彼らが工夫が充分ではないとすれば、その責めはすべての自然科学に携わるものが負うべきだし、それよりも彼らへの報酬配分を決めている為政者が負うべきだろう。
いや、もちろんこんなことを弾さんが分かっていないはずはないと思う。でも(なんかまた戦争の比喩になってしまうけれど)正直言って前線の指揮官ひとりに戦争全体の帰趨の全責任を負わせるようなものだ。どんなに彼らが優秀で戦闘能力が高くても、戦争は一部隊の活躍では決まらない。全体の戦略の立て方が大きく関わってくるのは当然だ。
ついでにぼく個人の主張を云えば、事は自然科学だけの問題ではない。だから、参戦すべき部隊は本当はもっと多いはずだ。
要するに、気軽に参戦できない事情があるのだ。戦争の比喩を続ければ、参戦を阻む最大の障害は、事実上補給体制が存在しない、と云う事だと思うけれど。

なぜ「反エセ科学キャンペーン」を張る人々は、返す刀で「反宗教キャンペーン」をやらないかという理由がそこにある。彼らとて「反社会的」(antisocial)という烙印は怖いのだ。
404 Blog Not Found:ニセ科学はリンクエラーを起こさない

意図的かどうかは分からないけれど、これは明らかに違う、と云うのは菊池教授のコメントを見れば明らかで、宗教には宗教としての固有の役割があるからだ。宗教=カルトではない。

それでも私が科学の方が「マシ」だと思っている理由は、数ある教義の中で、これだけが自己デバッグを教義に盛り込んでいるからだ。他はデバッグそのものが禁止ではないか。
404 Blog Not Found:ニセ科学はリンクエラーを起こさない

これは単純に誤解(曲解、でないと信じたい)だと思う。内部的、あるいは外部的な要請によって、宗教には自己デバッグの作用が働くし、それを繰り返す事で命脈を保つ。その宗教が信仰されている社会環境に適応していない宗教が長期間継続する事はできない。
アプローチの仕方はまったく違うけれど、ひとが世界の中で生きていき、世界を理解しようとするためのメソッドとツールセットを提供する、と云う機能においては科学と宗教は同じ役割を果たす。そう云う点では相互補完的な関係を構築しうる。逆にそのための機能を充分に提供できない宗教は滅ぶ。多くのカルトは一定以上拡大できないし、寿命も短い。グノーシス的な宗教は有史以来数多く出現したけれど、支配的なサイズになる事ができなかったのは、教義の根本に問題があって必要な機能が果たせないからだ。現時点で相応の影響力を持っている宗教は、その機能を向上させて社会の中で利用可能なものにまで高めるためにデバッグを繰り返してきたのだ(ただし、あくまでその社会の中での機能しか高められないので、社会環境に相違がある宗教同士はいまでも真っ向からぶつかり合う。キリスト教社会とイスラム社会がまだ完全に折り合えていないのはこのせいだ)。

例えば江本勝が宗教を名乗り、教祖さまになってしまえば、話は遥かに簡単なのだ、とこれは菊池教授も云っているとおり。カルトとしてなら反社会性の指弾はよほど容易だ。

ついでに云うと、宗教が折伏されるべきだとすれば、折伏するのは自然科学でなくてもいい。我々が(とは云ってもぼくの納税額は弾さんに較べればお話にならない雀の涙程度だろうけれど)税金で養っているのは、自然科学者だけではないはずだ。そちらにはその戦線に向いた精鋭部隊がある、というのがぼくのいつもの主張になる。

正直、話題的に弾さんがなにかしら見解を発表してくれないかな、と思っていたし、実りある議論を期待していたので、こう云う結果になって残念です。でも、自らの科学者としての倫理観と問題意識に基づいて実際に行動している人間に対して、あの処遇はないと思った、と、こんなブロゴスフィアの辺境で慨嘆してみる訳です。