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街や音楽やその他のものについてのあれこれ。

批判と技巧

きりねこちゃんさん (id:kiriko333)のこちらのエントリを読んだ。

kiriko333.hatenablog.com

議論の発端となったid:yasugoro_2012さんのエントリについても言及したことでもあるし、もうちょっと「書きかた、云いかた」と云うものについて書いてみよう。

ぼくが言及したエントリはこちら。

schutzengel.hatenablog.com

こちらのエントリでは「書きかた、云いかた」と云う部分に着目して、基本的にidyasugoro_2012さんのおっしゃることに同意したもの。また同様に「書きかた、云いかた」と云う角度から、コメント欄でyasugoro_2012さんとちょっとお話しさせてもらった。

で、それ以降にyasugoro_2012さんとid:apjさんの間で行われた対話については、最初にapjさんがyasugoro_2012さんのダイアリーにコメントしたことについてはある程度やむを得ないと考えているけど、それ以降の対話については基本的にapjさんの姿勢を支持しない。実りある対話をするためには、その場において相手の云いたいことを可能な限り補って受け止める必要があると思うし、apjさんはそれをしていない、と思うので。

さて、ここまでは前置き。
効果のある言説をなすためには、目的に照らして最適と思われる「書きかた、云いかた」をする必要がある。ひっくり返すと、「書きかた、云いかた」を工夫することで、本来はその根拠から伝えられないような印象を読み手に与えることもできる。まぁこれを技術と呼ぶのかテクニックと呼ぶのか、はそれぞれの場合によるだろう。

先にリンクしたきりねこちゃんさんのエントリはそのあたりで、まずは技巧と呼んでもいいような手法が少なくともふたつ、用いられている。ひとつは、挙げられているツイートのうちapjさん以外のひとによるものはどれも、apjさんの対話の相手であるyasugoro_2012さんに向けられたものではないのに、あたかもapjさんとyasugoro_2012さんの対話についてapjさんの側に立って述べられたものであるように扱っていること(それぞれのツイートはその対話を踏まえてのものではあるのかもしれないけど、きりねこちゃんさんのこのエントリ内では少なくともそのことは示されていないし、論証の材料にはされていない)。yasugoro_2012さんが「ニセ科学批判は金になる」と云っていないことと、ニセ科学批判は金になる」と云っているひとがいないこと、はそもそもイコールにはならない。

震災以降、たとえばニセ科学に批判的な科学者を「御用学者」と呼ぶような向きがそれなりの数いたのは事実で(そのひとたちの一部はそのうち「エア御用」と云う用語を発明して、自分たちで自分たちの文脈を脱臼させちゃったけど)。つまるところそれはもちろん「金のためにやっている」と云う意味で、要するに「ニセ科学に対する批判は金のためにやっている」と云っているひとは現にいたわけだ(yasugoro_2012さんはそうではない、にせよ)。

で、それぞれのツイートは「でもお金になんないよ」って云っているだけで、だれも「yasugoro_2012さんが『ニセ科学批判は金になる』と云っている」とは云っていないし、yasugoro_2012さんとapjさんの対話においてapjさんを擁護しているわけでもない。
ただここで、yasugoro_2012さんとapjさんが対話しているツイートと列挙することによって、あたかもそれぞれのひとがapjさんの発言や対話の姿勢を擁護するために発言しているように見せることができる(繰り返すけど、それぞれのひとにそう云う意識があった可能性を、ぼくは否定しない。最初に書いたとおり、この文章は「書きかた、云いかた」について述べている)。

これはまぁ技巧と呼んで差し支えないと思うのだけれど、ではどんな目的でそんな技巧を使うのか、と云うとこれは明快で、こちらの見解に繋げるため。

これってニセ科学や災害デマなどあらゆるデマが広がっていくのと同じ流れだよニャー。こんなんじゃニャー。もうこの人たちにニセ科学批判とかほんとやめてほしいニャー。

まぁ、きりねこちゃんさんがそのように考えるのはご自由ではあるけれど。重ねて書くけど挙げられたひとたちはだれも「yasugoro_2012さんが『ニセ科学批判は金になる』と云っている」→「だから『ニセ科学批判は金になる』と云っているひとは実在する」と云う順番のロジックでものを云っているわけではないし、挙げられたツイートは「yasugoro_2012さんのがそのように云っている」としてそのことを非難している内容でもないので、実際にはそれまでの論証からは上記の引用部分の内容は導き出すことはできない。

で、先に「技巧がふたつ」と書いたけれど、もうひとつはきりねこちゃんさんの次のエントリにつながる。

kiriko333.hatenablog.com

党派性の基盤となるような心情と云うのは、まぁ人間であるからどうしても発生するもので。同じスタンスで論陣を張っているひとは気持ちのうえでは擁護したくなるし、それを云ってしまえばぼくは菊地誠の発言なんかはどんなとんまなものでもまず擁護したい気持ちがある(気持ちだけは)。その気持ちがつねに適切であるとは限らないので、こんなエントリとかこんなエントリも書いたりするわけで。

上記のようなことがあるので、自分自身を省みてぼくにはニセ科学批判は党派性と最も遠いところにいるなんて云えない(上に挙げたツイートは菊池誠らしいロマンティックな言い草だとは思うけれど、完全には同意しない)。ただ、自分の言説に党派性がネガティブな影響を及ぼさないようにしたい、とは思っている。

で、党派性のもたらすネガティブな影響ってのがなにかって云うと、上記のような感情の働きでものごとを判断する基準がぶれたり、無理筋の擁護によって言説の信頼性が薄れたりすることであって(ちなみに、ある話題に言及しないことが、そのまま党派性を示すとは考えない。こっちで書いたようなことにも関連するかな)。これはある程度、それぞれの論者の自覚の問題だと考える。

(追記:ちょっとわかりやすく。
たとえば日頃から近いスタンスで発言している論者同士にある事柄について意見の一致があった場合に、それだけで党派性の発露と捉えるのは適切ではない。単にそれは自然なことなので、それをして党派性と見なそうとする場合には、見なそうとする側にある意図がある、と判断することも可能)

たとえばこんなにわかりやすいデマを飛ばしているのに、ニセ科学批判クラスタの多くが同調してデマを拡散してるでしょニャー。

上記で書いたように、じつはきりねこちゃんさんは先にリンクした方のエントリで、ニセ科学批判クラスタの多くが同調してデマを拡散してることを示すことはできていない。技巧を用いて、示すことができているように見せているだけで。

村になると同調圧力がかかって、仮におかしなことに気づいても批判しづらくなる。村八分になるのが怖いからニャー。これは党派と言われても仕方がないニャー。

そんなことないよ、ってな部分はこのエントリの前置き部分を参照してもらうとして。ってかきりねこちゃんさんも、ぼくがyasugoro_2012さんのエントリに関してなにを書いたのか、を無視してるよね? いや、無視しちゃいけないって話じゃないけど(ここはそうそう読まれている場所でもないし)、でも現に無視してるようじゃ、他人が文脈を追い切れていないことをそう軽々と非難できないよね。

このブログ記事にメンションしているニセ科学批判村人も今のところ1人しかいないニャー。

そう云う云うわけで書いたけど、いかがだろう。
まぁ無視されたとしてもきりねこちゃんさんの党派性を云々したりすることはしないので、そこは安心していただいてもいいと思う。

ところで、このかたの文体は地下猫(id:tikani_nemuru_M)さんをどうしても連想させる。地下猫さんはにゃー文体の採用を「論敵の逃げ道」として準備してたみたいなんだけど、きりねこちゃんさんの場合はどんな意図があるんでしょうね。


そうそう、ついでに。

「「ニセ科学批判は金になる」と言っている人がいる」というデマを盛大に流す、ニセ科学批判クラスタの人たち - 生きるブログ

もう何というかこんなに頭または心の悪い(多分両方)屑がやるのが「偽科学批判」でいいの?(勿論、修辞疑問です。私はそうだとは欠片も思っていませんwww)

2017/01/18 08:27

b.hatena.ne.jp

これは最初にリンクしたきりねこちゃんさんのエントリに対するid:Fondriestさんのはてなブックマークのコメントなんだけど、これはどう受け止めるのが正解なんだろう。ご本人でもほかのひとでもいいので、教えてもらえないかな。