サンクコストとa little help
Togetterのこちらのまとめを読んだ。
ワクチン危険説、と云うのはわりとポピュラーなニセ医療言説だ。
ワクチンの接種対象になるのはだいたい幼児や学童・未成年者なので、おおむね「害を強調して親を脅す」と云う構造を持っている。これはたとえばホメオパシーとかマクロビオティックとか、あるいは爪揉みだのずんずん体操みたいなさまざまなタイプの「ナチュラルに免疫力を高める方法」なんかで商売をしているひとには使い勝手がいい。発想としてはデトックス系とも親和性が高いだろう。
このへんのことをid:NATROMさんならなにか書いているだろう、と思って見つけたのがこっち。
で、このへんのニセ医療商法に傾倒すると、当然ながらコストが発生する。金銭的なコストや、さまざまな時間・手間のコスト(気持ちのコスト、もあるかな)。
効果が疑わしいな、みたいにうすうす勘づいたとしても、「せっかく頑張ったのに、ここでやめたら台無し」みたいな気持ちが働いて、途中でやめられなくなる(当然ながらそのニセ医療で商売している側はやめられるとその先は儲からないので、だいたいはそう云う気持ちが働くようなロジックを組んでいる)。
このへんのことについては宇樹義子さんの記事に言及して書いたこちらのエントリで触れた。
サンクコストに対処する最適の方法は、その存在をできるだけ早い段階で無視し去ること。――そんなことはたいていのひとがわかっている、はずなんだけど、なかなかそうできないのもまた人間であって(ここのところは、福島第一原発の被害を高く見積もって行動を起こしたひとたちがなかなか実態を認められないのはなぜか、みたいな話にもつながるんだけど、ここでは措く)。
ただ、サンクコストを受け入れられないのは、個人の気持ちの問題。だから無視してもいいような小さなこと、と云うつもりはないけれど、ワクチン接種の是非についてはその個人の気持ちを超えた、社会全体の問題とつながっていく。
受けられなかった子のことも、何か考えがあって受けさせないかつての私みたいなのも、責めたり否定したりしなかった。でも、「だけど、子どもや周りの弱い人のために予防接種は絶対必要」と言うのははっきり感じた。「よく、来て下さいました。私も勉強になりました」とか言われて恐縮しきり。
— おかみ (@okamikaYama) 2017年1月16日
恐縮しきり
とこの方はおっしゃっているけれど、この方の相談を受けた保健師さんたちからすれば、この方がお子さんに抵抗なく予防接種を受けさせてくれるようにすることが職務上で合目的的なふるまいになるわけで。とはいえ、その合目的的なふるまいを適切かつ自然にとれること自体、プロだよね、と云う話でもあるのだけど。
でも、その保健師さんのa little helpがこの方の気持ちをどれだけ軽くしたか、と云うのは、けして些細なことではない、と思う。
でまぁ、「目的に照らした適切なふるまい」と云う話になると、こちらで書いたことにもちょっとつながってきたり。
その場その場で適切にふるまうにはどうすればいいのか、と云うのを判断するのは難しい場合もあるし、失敗してしまうこともあるけれど、でもそのことを考える必要性を念頭に置いておくのは大事なことだよね、みたいな話。