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Chromeplated Rat

街や音楽やその他のものについてのあれこれ。

目的に照らして注意深くあるべき、と云うこと

yasugoro_2012さんのこちらの記事を読んだ。

「さしたる根拠は示しませんが、ニセ科学批判者はニセ科学問題が飯の種なので解決を望んでいない」と言ってもいいですか? - 思いつきのメモ帳

(埋め込み機能を使うと長いタイトルは途中で切れることを学びました)

でまぁ、このタイトルが煽りなのは、エントリの最初の行からご本人がおっしゃっている通り。

はじめに断っておくが、私はそういうことを言いたいわけではないし、言ってはいけないと考えている。

と云うか、「そう云うことを云うべきではない」と云うのがこちらのエントリの趣旨。ただまぁ、そこでニセ科学批判者と云うフレーズを使うと、エントリが直接批判対象にしているid:locust0138さんだけではなくて、いま、またはかつてニセ科学批判者を名乗った、または他称されたひとたちすべてに主語が広がる。なので、そのクラスタを代表しているわけではまったくないけど、かつてはちょっとは自覚のあったぼくなんかがこうやってでてきたりする(べつだんクリリンメソッドではなく。これも死語かな)。
ただ、ぼくが書きたいのは「だから煽りはやめてよ」って話ではなくて。

議論においてひとではなくて論を見よう、ってスタンスはまずは正しくて、だからと云ってある主張においてそこでなされている内容だけを見て判断をするのは難しくて、なのでそのひとの主張を理解するにあたって「このひとは日頃どんなことを述べているのか」と云うことを援用せざるを得ない場合は往々にして生じるもので。これは単純に、文章による主張がかならずしもその文章単体で(主張の背景や論者のスタンスを含めて)網羅的になりうるわけではない、から。twitterなんかだと端的なサンプルがたくさん見つかると思うんだけど、ひとまとまりの文章だけでその主張の真意を判断できないケースはけっこうある(例えば前のエントリに書いたけれど、はてなブックマークなんかで見ていてずっと掴めなかったid:yuko-hiromさんのスタンスを、それとは特に関連しない記事をひとつ読むことで、以前より理解できた、と思っている)。

locust0138氏によると、ニセ科学批判批判には言葉の定義や根拠が必要らしいが、元「慰安婦」を支援する活動家を批判する際には定義が不確かな言葉を用いても構わないし、サンプル0で根拠もなく「活動家は慰安婦問題が飯の種」と言っても問題ないらしい。

もちろん「それとこれとは別の問題」と云ってしまうことも可能で。可能ではあるけどそれは、結局のところ問題によって判断基準を合理的な理由なく切り替えるような言動を行っている、と云うことを認めることになる。

まぁ偏りのない、一切のバイアスに影響されない人間と云うのはいないわけで。いないわけなのだけれど、そこで開き直ってしまうことは、すべてのおのれの発言が特定のバイアスの範囲を超える意義を持ちえない可能性があることを認めることになる。これは例えば、属人的なバイアスを排除して判断基準を提供すると云う科学の機能の有用性を損なうもの、としてニセ科学を批判するようなスタンスとは、とても相性が悪い。特定の事柄については自分にはこう云うバイアスがあるけど、それはニセ科学を批判することとは別、みたいなことはなかなか通じない(先に書いたように、あるひとまとまりの文章のなかでそのことまでを伝えることは難しい)。

例えば菊池誠はロマンティックなリベラルで、その界隈のことについての物言いについてはだいたい感傷に端を発するもの、と捉えるのが適切だったりする。個別の発言すべてが不適切だとは思わないし共感する場合もあるけれど、そう云うバイアス、と云うか言及対象による精度の違い、みたいなものは、そもそもの発言の信頼性を毀損する可能性を生む。
このへんのことは(菊池誠については)こちらに書いた。

schutzengel.hatenablog.com

これはこっちに書いたようなことでもあって。

schutzengel.hatenablog.com

もちろん前述のとおり、論じる対象によって自分にはそれぞれ別のバイアスがあることをきっちり示せれば、理屈の上ではこのへんの問題を発生させずに済む。ただ、それはそんなにかんたんなことではない。単純に、議論を受け止める側にもバイアスは存在するわけだし、つねに「それとこれとは別の問題」と切り分けて受け止めてくれるわけではないので(むしろ敵対的な論者には、積極的にそのあたりを混同しようとするスタンスの向きのほうが多いだろう)。
これはまぁ受け手側の問題だけれども、その責任を受け手側に帰してしまえば、議論の目的を果たせる、と云う話ではないはずなので。

議論においてすべてのバイアスを排除できるような超人であれ、と云うのは無理にしても、このへんのことをちゃんと意識して注意深く発言することができないと、議論の目的を果たすのは難しいよ、と云う話だとぼくは思っている。