Chromeplated Rat

街や音楽やその他のものについてのあれこれ。

モラルとベネフィット

宇樹義子さんのWelqの増長を許したのは「まともな受け皿」の不足かもしれないと云う記事を読んだ。

decinormal.com

なんかつい先日例のニセ科学・医療批判が大好きなNATROMや片瀬久美子やそのお仲間達は DeNAについてもWELQについても、怒ってもないし特に追求する発言もしてないって発言について記事を書いたばかりだったんだけど。

schutzengel.hatenablog.com

この方の認識は違うみたい。

私の観測範囲内にすぎない話なのだが、DeNA系メディアや(低品質な)キュレーションメディアを批判する層と、ニセ医学を批判する層はどうも被っているように見える。

まぁ、ことほど左様に観測範囲と云うのは相違する、と云う話でもあるのだけれど。

ニセ医療の問題を含むニセ科学への批判対象には、雑駁に分けて「ニセ科学を提唱し、広める者」と「そのニセ科学に賛同し、流布に加担する者」のふたつがあって。前者について話をすると、そこには「モラルについて特殊な感覚を持っている、または理解が浅い」パターンと「そもそもモラルがない」パターンがある、と思う。で、ある程度以上流布し、企業活動としても一定以上の規模を持つニセ科学については、この「そもそもモラルがない」プレイヤーが加担している可能性が高い、と考える。
ぼくの連想しているのはホメオパシーとかEMあたり。EMについては信仰心がモラルを代替している可能性もあるけどね。

Welqは著作権法の網も、Googleのルールも非常に賢くかいくぐりながら、人を煽り耳目を集める医療・健康情報を扱うことで、Google検索結果の上位を占拠するまでになった。ここまではある種の経営手腕が成し遂げた業だ。しかし、彼らにはモラルや長期的大局的視野が欠けていた。

と云うか資本主義下の企業には、そもそもモラルと云うものはビルトインされていない。そこにルールがなければ利益の極大化のためならなんでもするし、ルールがあればその際を狙う。ルールにあいまいさがあれば、可能な限りの拡大解釈をする。このへんはスポーツと同じ(まぁスポーツには、明文化されてなくても従うべきモラル、と云うようなものがある場合も多いけど)。

なので、この方のおっしゃるような長期的大局的視野と云うようなものを、その法人に所属する自然人が共有し、企業としてのふるまいを制御しなければいけない。違法でなければ脱法行為は当然に許される、と云うものではないわけで。

長期的大局的視野を持つというのは、目先の自らの損益のみでなく、社会全体の今後にとっての損益を考えるということだ。

それができない企業は、淘汰されなければならない。
いや、実際のところ、それができないのに存在し続けている企業も産業分野もあるわけだけれども(個人的には、ゼロサムを前提にした金融産業はいまのスケールで存在し続けるべきではないと思っている。隣接した場所で仕事をしたことがある人間として)。

でもまぁあまりにも社会にとって損失面の大きい企業なり産業なりは、ある程度以上うまく運営されている社会においては、いずれ淘汰される。あるいは、ルール(または運用)が変更される。
と云うか、そう云う社会にしなければいけない、と云う話ではあるのだけれど。でまぁ、たいていのニセ科学に対する批判の根底にあるのは(いろいろ妙な忖度をされたりはするけれど)こう云った発想だったりする。

社会全体に対しての益は、成すのに時間も手間もかかる。これに手をつけようとする者は、短期的部分的にいえば「損」をかぶらなければならない場合も多い。だからこうしたことは民間がビジネスでやっても成功しづらいし、長続きしない。成功したケースはたいてい何か生臭くなり、社会の益よりもビジネスの様相が強くなりがちだ。福祉ビジネスの範疇で起きているあれこれを思い浮かべればわかるだろう。

このへんちょっと、ニセ科学に対する対策活動がたいていは手弁当で(だれかが『損』をかぶるかたちで)行われてきて、現に行われている、と云う事情とちょっと二重写しになるようにも思う。このへんまぁ、ベネフィット、と云うものをどう考えるか、と云う話になるんだろうけれども。
けっこう昔、2008年とか2009年とかぐらいだったと思うんだけど、いまなら「ニセ科学批判クラスタ」とも呼ばれるようなひとたちが、自分の動機を述べるのがちょっとだけ流行った(と云うと語弊もあるけど)ことがあった。まぁたいていの場合は有形ではなくてもそのひとなりの動機とベネフィットがあって、と云うケースが多かった記憶がある(とは云ってもいわゆる「ニセ科学批判批判」でしばしば云われるように、ニセ科学問題への言及をマウンティングの道具にするケースは実際にないわけでもなくて、そう云う向きとは喧嘩したりしたこともあるけどね)。

もはや、国側が乗り出すべきときだと思う。日本の医療や医療リテラシーの現状に対し、国が政治の圧倒的な力で切り込んで、システムを大きく変えるべきときだと。

ご本人ももちろんおわかりのようだけれど、これはこれでやっぱり、ベネフィット、と云うことを考えると簡単ではないよねぇ。国もやっぱり法人なのだし、ベネフィットに関する適切な指針を与えられていないせいでアドルフ・アイヒマン的な行動に陥ってしまっている公僕も珍しくはないご時勢ではあるので。